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トークショー顛末

 


12月の討ち入りを記念した播州赤穂(ばんしゅうあこう)のお祭り「義士祭」「忠臣蔵ウイーク」。

このお祭りに参加させていただくと、いつも赤穂ならではの経験をさせていただく。
「ならでは」のほんわかした気持ちにさせてもらえる奇跡。

そんなおうわさです。


              ふたつともえ  


忠臣蔵のふるさと播州赤穂の義士祭の手前の一週間を、いろんなイベントで彩る「忠臣蔵ウイーク」。
その開催2日目にトークイベント
「忠臣蔵談義 忠臣蔵ってどんなお話?」
これを忠臣蔵問屋わたやさんの矢野社長と対談、というかトークショーみたいなかんじでさせていただきました。







このイベントは朝からなので、前の晩に打ち合わせすることを矢野さんと決め、東京からはその打ち合わせに間に合うように午後にでもテキトーに赤穂に入ろうと切符を用意していたが、直前になって赤穂らじおさん(市民有志のみなさんによる地域密着インターネットラジオ)から昼の出演依頼をいただきました。
「ランチをごちそうしてくれる」ということでもう、大快諾!
買った切符を昼入りに変更。

駅前から城までつづく「お城通り」(あれ?お城通りって息継ぎの井戸から城まで?それとも駅からずっと?)の中腹にある物産館の前に特設ステージを設け、公開生放送。
パーソナリティが自分の前を通りすがる人を気にしてるんだかしていないんだか、とうとうと放送を続けるあの独特の有り様はいろんなところで何度も見たことがあるが、まさか自分がそういう経験をさせてもらえるとは(ちなみに翌早朝は春風亭一之輔師匠の「サンデーフリッカーズ」に電話で生出演し、赤穂から中継記者w。番組内でこたびのイベントはノーギャラとうかつに申し上げましたがマチガイですのでご放念ください。この場を借りてお詫び、訂正させていただきます)


赤穂に到着すると、改札でもりいと事前にメールでやりとりさせてもらってたラジオパーソナリティのいちごさんが出迎えてくれた。
もりいの出番の前が着物のテーマの番組だったということで、あでやかなお着物姿であります。
駅から物産館まで向かう途中なかなか寒そうにしてらして、あたしを現場まで歩かせるのを恐縮してくださっていたが、あとでわかったんですが往々にしてこうした都市では(東京郊外もそうだが)人はだいたい車生活(もしくはチャリ)がメインなのでありますな。
そこで、出迎えた客を歩かせるのが忍びないということだったんですが、観光客は歩くのぜんぜん平気です。ていうか、あつがって小脇に抱えてたダウンジャケット貸してあげればよかった。

物産館に到着して今年の夏のゆかた祭りでもMCをしていらっしゃった、らじおのボス:いろはさんと合流&ご挨拶したあと3人で近所の和食「どんぐり」さんでごちそうになって、いざ放送。







話題は忠臣蔵が好きになったきっかけや赤穂の印象。翌日のイベントのことなどについてお話しました。
赤穂らじおさんのブログにもりいの出演のお話がございます。>https://ako-radio.jimdo.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/

(お菓子屋さんであらためてやった録音聴けます>http://akoradio-star.seesaa.net/archives/20171225-1.html

ちなみにいろはさんは、物産館のすぐそばの息継ぎの井戸のところにあるからくり時計のところでこの時期は手話の中村さんと、もりいの「早わかり忠臣蔵絵本」を拡大した紙芝居の読み聞かせや「忠臣蔵手話クイズ」を赤穂玩具博物館館長さんによる「忠臣蔵紙芝居」(こちらは実際の紙芝居)とともにパフォーマンスしてくださってます。




▲参考画像
 あたしまだ、演ってるところを拝見していませんのase2



放送が終わったあと、近所の和菓子屋さん「岩佐屋 かふぇ・ど・亜月」さんで磯辺焼きと生姜まんじゅうをいただきながら今度はインタビュー。こちらはたったいま放送した内容をあらためてかいつまんで話して、後日に赤穂らじおのHP『輝け!赤穂の星』へアップされます。そして別口で「FMゲンキ・赤穂らじおのしおかぜだより」 というのに使う(予定)用のさらに短めのインタビューも。







そうこうしているうちにトークショーの相棒・わたやの矢野兄ぃと待ち合わせの時間に。

駅に隣接しているビジネスホテル(今年いろいろ泊まったが、もっとも寝具に加齢臭が無いホテルでした!東横イン播州赤穂!ベスト・オブ・ホテル・アバウト・忠臣蔵。のフロントのところにあるテーブルでアレコレ相談。

今回のテーマである「忠臣蔵のどこがいい」という話をしてたら、内容に感動してひとりで喋りながら2回ほど泣いてしまった。「絵図面取り」とあと、どこだったかな「南部坂」?あっ「天野屋」だw。

笑いながら矢野兄ぃは「明日その症状が出たらツッコミます」

夜はあたしの絵を名刺に使ってくださってる「すし若」さんで飲んだくれて、お勘定を払わずに出てきてしまいました。
矢野兄ぃが払ってくれちゃったのかなあ。今度精算しますので!ごちそうさまですhato


             ふたつともえ


トークショー当日。

 

この日、午後から講談がある若林鶴雲先生(同ホテルご滞在)とともに朝にお車で矢野兄ぃが出迎えてくれて、みんないっしょに浅野家の菩提寺・花岳寺へ。
朝から読経をするためではない。コスチュームに着替えるためであります。
そう。トークショーは討ち入り装束でおこなうのであります。

袴の帯はホテルでネット動画見ながら結ぶにしても、五十肩で不自由な左腕をかかえて、どうやって篭手を装着しようかと悩んでいたので、この「全員でお着替え」はうれしゅうございました!おべべを着せてもらう子のように、鶴雲先生にすっかりお世話になりました。
(ちなみに鶴雲先生はコスプレではなく、普段着から和装にお着替えです)




▲お着替え完了(花岳寺さん)



トークショーは花岳寺から歩いてすぐそば、加里屋まちづくり会館。昔風に言えば集会場なのだが、多目的ホールや会議室を5室備え、設備が超行き届いている。







「忠臣蔵談義 忠臣蔵ってどういうおはなし?」

拙著「早わかり忠臣蔵絵本」を材料に、急きょ1ページ「俵星玄蕃」のページをはさみこみ(実行委員の岩崎さんにデータを送って出力〜裁断〜封入までお骨折りいただいた)、そのエピソードのいったいどこが日本人の心に響いたのかというお話をいたします。
参加費無料。






▲絵本を皆さんに。参加者は四十七士の名入りバッジが…



かっこよく定員47名というふうに整えましたが70人ほどご来場いただき、なにより学童の参加がすごく多いのが嬉しかった。
ご当地は言うまでもなく播州赤穂は忠臣蔵の故郷であり、よそから来たなまかじりの「愛好家」なんぞが「どういうおはなし?」なんて語ろうとすればどうあがいてもしゃべりが幼稚になります。ご年配のお客様にはご退屈なのではと危惧とプレッシャーもあったので、お子達の参加は助かりました。

絵本を受けたとったお母さんの「あっ俵星玄蕃入ってる!うれしい!」なんて声が聞こえると、なんだかもう、百年の知己を得たような心持ち。

赤穂女子最高!




▲なんと先日誤楽座にいらした方も!
 両国劇酒場「忠臣蔵」松元さんのファン。



そしてなんとなく、絵本を持った子供さんからサインのリクエストを頂き、「じゃあ、あたしも」というかんじでいつから、誰からともなくサイン会が始まりました。
「絵本の文言は全部覚えている」というお子さんもいらっしゃった!


hatoここ「アウェイ」ではない!hato


うれしいですっ!
あたしを殺すなら今やってください!




▲さながらサイン会



10時の開催時刻になったので、サイン会(?)をいったん切り上げてトークショー開催!

矢野兄ぃから丁寧に赤穂事件と忠臣蔵が違うという話のご紹介。

それを受けてあたしがいったんさらりと絵本にあるエピソードとともに「あらすじ」を説明し、最初に戻って「いじめ」から、皆さんが共感してくれそうなことや200年以上どこらへんが日本人の琴線に触れて人気がつづくのかを解説。

もちろん全エピソードは無理なのでそのあと
「刃傷(梶川与惣兵衛の立場)
「田村邸
(知らない人の同情)
「大評定
(価値観の違う人との討論ではなく対話)
「神崎与五郎の堪忍袋
(我慢のレベル)
「東下り
(知らない人の同情)
「絵図面取り
(親父の義侠心)
「天野屋
(死生観)
「南部坂
(誤解する方される方)
「くすや勢揃い
(浮世との手切れ金)
「俵星玄蕃」「強敵
(吉良家用人の忠義)
「大団円
(細川家でのAグループの扱いと当人たちの心持ち)
名エピソードを紹介しながら、そのバックグラウンドに秘められた共感できる秘密を紐解いていきながら進みます。

結果、いろんな登場人物の「覚悟」を紹介した感じ。

しゃべりながら泣きはしなかったけど「天野屋」の、息子・芳松が奉行の非道な取り調べの脅迫で熱した鉄板の上を歩かされそうになる時、芳松はわけがわからないで
「おとっちゃん、もうオイタはしませんから堪忍してください」
「死出の旅では手をひいてやるから笑って死んでくれ」

のやりとりで声がうわずりました。

登場人物のそれぞれ独特の自己犠牲の正義が、名声や手柄と関係ないところにしびれるという解説。
実はこうした態度へのリスペクトは、あの厚かましいアメリカにもあるのだ(<舌長し御免)




▲大きなスクリーンがうれしい。



矢野兄ぃとは掛け合いがトントン進み、何人かのギャラリーの方から「漫才みたいだ」というご評価をいただきました。いいですな播州弁と江戸弁の掛け合いって。

一番場内が笑い声に包まれたのは終演近く、コスプレで頑張る矢野兄ぃ(市の職員さんと観光のために衣装を着てお城付近で観光客の記念撮影に応じている)が夏はすごくお暑いということなんで、城の前でに死ねりゃあ本望だろうという不躾なドライヒューモア。



無事にトークが、予定通り1時間で終わりました。よくこれだけの量を時間内に捌けたなと。

11時から 質問コーナー。
もぉ〜〜〜ここでね、ある男子から
超忠臣蔵の新作はいつ出来るんですか?」

もぉ〜〜〜
この質問ヤバイ。
必殺悩殺。
お小遣いあげればよかった・・・・

ええと、らいねん「そば志ぐれ」つくろうと思ってる旨、ご報告。

ここいらへんです。
冒頭にお話した
「「ならでは」のほんわかした気持ち」
この時点でわたしの顔は温泉に浸かってるカピバラみたいになっていたはずです。

以前義士行列に参加させていただいた際も、見知らぬお子さんから「もりいさんですよね?いっしょに写真を…」と言われたものです。日本ひろしといえども、赤穂だけの愛の奇跡。ありがたいことでございます。


その後、その日の朝日新聞をあらかじめ持っていらっしゃってたご年配の男性から(<ご用意があったということはとにかくこの会の内容がどうあれ、その話題は発表するおつもりでおいでになってたのですね)、赤穂事件もお忘れなく、的なご指摘をいただいて、「おっしゃるとおりです」とお応えして矢野兄ぃが補足し、おたのしみの「ニラ雑炊ふるまい」へ!






▲なんて素敵なことでしょう。



サイン会の続きをしながら(うっかりと、後半の何人のお子さんにお名前を聴くのを忘れた。慣れないことですみません。慣れないどころかこんなにサインしたの初めてです。)
あたしも楽しみにしてたニラ雑炊!大石内蔵助の大好物ですって!
お芋も入ってカラダはすっかり温まりました!




▲この画像で珍しいのは、ピースサインである。
 篭手で手の表情に制限があるので。



ネガティブなご意見は届かないようにご配慮いただいているのだろうが、おおむね好評だったようでうれしゅうございました。

「知らなかった裏話に感動して涙しました。来て良かったです」
「対談からふたりの忠臣蔵好きがバンバン伝わってきました。」
「とても息の合ったお二人の掛け合い。M−1級!」
「姫路出身で赤穂事件と忠臣蔵の区別すらわかっていなかった!」
「忠臣蔵から学ぶもの、たくさん有りますね。」

などなど
甲斐あるご意見をいただいたようで、ただただ恐懼感激ですNAKI-SOH



そしてもうひとつ、
忘れてはならない地元ならではもございます。
地元のみなさんは生まれた時からそこが忠臣蔵の故郷なのであり、他府県の人達のように「芝居を見てからハマりました」というのとはワケが違うのであります。
だから「あたしはエンターテインメント専門です」とやんちゃ不行儀に振舞っているだけでは済まされない場合もある。
「忠臣蔵」や「赤穂義士伝」はまったく関係のないことととらえている皆さんからもりいの出禁を言われないようにこのポイントを重要に捉えて「愛好家」をやっていく必要があると思いました。
とはいえ、なぜこんなにまで事件の戯曲化が小躍りしながら「忠臣蔵」のことをまくしたてる東京モノを産んだのか、そもそもの事件の影響力を知っていただくサンプルとして、もりいとくすやのスタンス自体は変わらずにいます。

わたしのやることが相変わらずでも、上記のことが頭に入っているか否かではチョイスする言葉ひとつをとっても大きく違ってまいります。


             ふたつともえ


午後から始まる、鶴雲先生(は、ずっと聴いてくださっていた)の講談「仙珪和尚」「梶川与惣兵衛」鑑賞と、思いのほか暑かった装束を脱ぐために花岳寺へ。




▲安兵衛真観のモデルもやってくださった
 鶴雲先生を挟んで。



対談から講談までお付き合い下さった赤穂の朋友・The 47 Black Cats 黒猫47士のデザイナー前川先生と、銀波荘で温泉に浸かってた湯上がりのみのりさんと焼き鳥で一杯やって、多幸感に包まれながら家路につきました。
…前川先生は朝から付き合ってくれたんだからごちそうしてあげればよかったというのに接待ボケで割り勘にしちゃった!ゴメン!



赤穂はこれから、メイン・イベントに向かって盛り上がります。



品川から乗ったタクシーの運転手さんは西宮出身で兵庫なハナシをしながら23時過ぎに帰社しましたとさ。

これにて大尾。

 

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安兵衛さん分骨始末記

 

 


堀部安兵衛さんの生まれ故郷、新潟県は新発田の菩提寺・長徳寺のご住職から「安兵衛さんの移骨があるので参列を」と、お誘いいただいた。
「喜んでうかがいます!」
と二つ返事はよいけれど…

「移骨」ぅ????

四十七(四十六)士が望んで入った泉岳寺。
みなさんが揃っていてこその泉岳寺でありましょうに、「里帰り」とな!?
いろいろなモヤモヤが渦巻きました。

そしたら次のメール(だったかSNS)の表記に「分骨」となっていたので胸をなでおろした次第。
(でも「移骨」とお口走りになられたのは本音とおみうけいたす。)


             ふたつともえ


当日(11月22日)朝10時台に泉岳寺へ。

音頭を取るのは、
あたしが5年ほど前(結成100周年の頃)からお付き合いをさせて頂いております明治時代からつづく安さんのサポーター「武庸会」(たけつねかい)さん。

数年ごしの悲願だったという分骨に泉岳寺さんがついにご快諾くださった!と、みなさん感激しておられて地に足がついていないご様子w。


実は、さる9月にはすでに、播州赤穂の花岳寺さんの遺髪堂から土を分けて頂いているとか。
そうか!土ですね。土なら、シェアもスマートにとりはからえるイメージが…。
というか、300年以上もむかしの骨やらお棺やらはもうとっくに土になっているのでしょう。




▲泉岳寺の前にて集合。



朝11時に武庸会をはじめとする新発田の皆さんや、最近なかよしのシンガーソングライター・旅流草一郎さん。ご無沙汰していた佐藤条右衛門のご子孫、佐藤さんらとご挨拶。
そしていっしょにご本堂でお釈迦様にお参り。

全員の焼香が済むとまもなく、かかりの僧侶さんに案内されてみんなそろって四十七士のお墓に移動します。
みんな討ち入り装束のはっぴを着て、何人かの手には「武庸会」ののぼりが。
事情が飲み込めてない外国人観光客の恰好の被写体となりました。
(ちなみにあたしがあてがわれたのは杉野十平次さんのハッピ♥)




▲あっあのう、杉野さんの墓に荷物!ase2


いつもお世話になっている泉岳寺のスポークスマン・牟田賢明(むた けんみょう)さんがご供養のお経を唱え、参列者全員がご焼香。
そして「東京と新発田でみんなして安兵衛さんの菩提を弔ってほしい」という内容のスピーチ。

そして、とある方法で無事に土の一部を木箱に収めると、武庸会・嶋谷(しまや)会長は感極まって涙。

これを数日後、新潟県新発田の長徳寺に用意した新しいお墓に納骨します。

お墓の前で、旅流草一郎さんにご自身の歌「堀部安兵衛」を熱唱していただいてひととおり式典は終了。






▲あたしははじめて入った「泉岳寺門前 紋屋」さん


その後みなさんとお昼を「泉岳寺門前 紋屋」さんで楽しんでから、みなさんは高田馬場の早稲田水稲荷神社に安さんの碑を見におでかけになり、私と旅流さんはいっしょに品川駅へ行ってそのまま解散(あたしは後日の新発田や赤穂行きの切符を買いに。旅流さんは一度自宅に戻ってワハハ本舗娯楽座のリハへ。)


++++++++++


さて
4日後の26日。納骨式/建碑式に新潟の新発田に参りました。

現地は雨・・・雨

あたしは駅に到着後、持ってた折りたたみ傘ではたよりないので売店で大きめの傘を買い、駅前に取ってあるホテルに余計な荷物を預けて、歩いて長徳寺へ。
スマホで道案内を見ながら歩いてたらどうやら車の道順で行ってしまったようで、駐車場のある裏口のほうからいささか遠回りでおじゃまさま。ま、いい運動になっていいや。




▲白無垢で開催を待つ安さんの新しいお墓。
 横の義士堂の木像47体は最近修理&復元がなされた。




午後2時より長徳寺本堂で、新潟大学名誉教授・冨澤信明先生(<最近、富澤日向守とご自分が続いてることを発見し、大石内蔵助と縁戚にあたることがわかった。)の記念講演。

討ち入り成功の鍵は「屋敷替え」にあったが御府内の屋敷をわざわざ前に住んでた人(松平登之助)を引っ越させてまで吉良を本所深川に飛ばしたのはそれをうながした大目付・溝口摂津守(内匠頭と親戚)が討ち入りの黒幕だったからだ…というお話し。
吉良が移った本所の屋敷の周囲は溝口の親戚で固められていた。=討ち入りはしやすくなった。先生はその縁故関係を洗って発表しました。
討ち入り開始から泉岳寺で仙石伯耆守のところに行くまでの約10時間ほどおまわりさんも来ないし、その後お上は「吉良左兵衛はおあずけ、上杉は改易!」とさっさと決めておいて「四十六士は様子を見ましょ」ということになっている。これを見ても幕閣の足並みは揃ってると言えるというおはなし。
武田の遺臣が多くいた徳川スタッフの「上杉潰し」が討ち入り成功の秘密だという。








先生はこの説を新聞でも発表して、反論を歓迎しているが、なかなか誰もなにも言ってきてくれないという。
ぜひ、むかしから研究をしている方たちと有意義なディベートをしていただきたいし、聴きたい。



雨の中、15時より納骨式スタート。

メディアが何社か入っている。
ギャラリーも多い。
(泉岳寺にもカメラが1台来ていましたっけ)

東京と赤穂から持ってきた木箱から、武庸会会長が土を両手ですくうようにして墓の中に移す。
墓の台を動かすのではなく、乗っかってる竿石(軸石?)を傾けると墓穴になってるので、そこに入れる形。これなら石を三又で吊るすなどする手間がありませんで式典がスムーズ。










▲もりい、合掌。


読経が始まって、手を合わせ「おかえりなさい」とちいさく言ってみたら、なんだかちょっとジンときました。

会長がテレビの取材に答えてます。
「300年親子が離れ離れになっていた。ぜひお父さんに討ち入りの話をしてあげてほしい。これでようやくお父さんの横で眠れる。」

随分おめでとうございます。




▲お棺。



参列者の焼香が済むと、こんどは16時より、武庸会会長のお店「割烹志まや」さんにて懇親会。
テレビのインタビューなどがあってなかなか皆さんが思うようにお寺から動けません。
あたしだけ先に会場に行ったとて手持ち無沙汰はあきらか。寺の中で冨澤先生のスクリーンの片付けなどをお手伝いしました。
そうして良い頃合いにでかけて、大広間で集合写真を取ったあと宴会場へ。




▲播州赤穂からご参加の大石神社・飯尾宮司さん。



もう、おいしいお料理をゆっくり召しあがればいいのに、みなさんたらほうぼうへ瓶や徳利を持ってご挨拶にあっちへウロウロこっちへウロウロ。(あたしもなんですけどね!)
大事なことです。まさに懇親会。




▲たけなわ。



庄瀬の応庸会(まさつねかい)さん(<若い時の安兵衛の住んでたところ)の会長と副会長にご挨拶がかないました。
今回の墓の石をご用意なさった石井さんはアレ、古寺の石垣の石だっておっしゃってたかな。
石工の村山さんは竿石をコーティングでしっかり留めるとおっしゃってたっけ。
飯尾宮司さん、朝にほうぼうご案内いただたはいいけど肝心なあたしの「安兵衛真観」見そこなったっておっしゃってた(嬉しい事に翌朝リベンジしてくださった)。泊まりが新潟市の方だとおっしゃってたなあ。
冨澤先生「イジメを苦にして自殺するなら死ぬ前に相手の目ん玉くらい潰してから死ぬべきだ」とおっしゃってたのは、なんの話の流れだったかなあ。
あっ白勢酒店さんのお酒の安兵衛のラベルをデザインするって約束したんだった!
歯医者で新発田の郷土研究会の佐藤先生(剣道七段)は出土した貴重なものを展示するところが無いことを憂いてらっしゃった。90歳位らしい。「漫画家の寺田ヒロオは新発田出身だ」とも教えてくださった。
副市長さん、加西の忠臣蔵サミットにおいでになったとおっしゃってたなあ。
真紀子さんが藤間藤子と市川染五郎のお話をしてくださった時はあたしもけっこうよい心持ちで、いなくなっちゃった席の人のおかずを盗み食いし始めておりました。

いったん解散になり、別室にて二次会。




▲二次会の席


▲左より杉山先生。若槻議員。飯尾宮司。もりい



若槻市議会議員から「つっぺった、こっぺった、ばかんめら!」という言葉を教わりました。旅流さんが「堀部安兵衛」を作るきっかけを作った方です。
脚本家の杉山義光先生と解散まで話し込んでおりましたが、先生あたしのことおぼえててくださるかしら。
「クレームをつけてくるやつというのは、興味を持ってくれてるわけだからちゃんと対応しろ」とお兄さん
(<里見浩太朗の忠臣蔵を書いた杉山義法)から言われたなど、お兄さんのイイ話をいろいろ伺いました。


ご法事があるということで中抜けした長徳寺・関根住職が戻ってきたのは何時頃だったろう・・

おひらきのあと、武庸会の副会長・高橋さんのお誘いに甘えて、ご自宅のスターウォーズコレクションを見せていただいたのはそこそこ深夜だったかと存じます。
それなのに、奥様がたいへん親切に対応してくださって大感謝。
そのままメガネケースを忘れて退散。

この昼間、新発田にに着いてすぐ買った70cmのビニール傘が帰るときには65cmに縮んでいました(誰のを持って来ちゃったんだろう…)




▲高橋さんのコレクションのごく一部。
「ローグワンって、忠臣蔵だよね!」




<翌日>



朝、メガネケースは高橋さんから直々にホテルに届いておりました。すみません・・

寝間着が加齢臭っぽかったから次はよそのホテルにしようかとも思いましたが、高橋さんの知り合いのようだったのでまたここに泊まろうかな。




▲朝ごはんのソーセージ&ごはんは鉄板。



「安兵衛真観」のプロデューサーY氏にいつも甘えてクルマで新発田市散策。
車中で戦国時代からのいろんな相関図がどう江戸時代のアレやコレやにつながってるかなどのハナシをしながら汽車の時間まであっちやこっちへ。
ありがとうございました。

今回はじめて見たのが「安兵衛手植えの松の子」(名前がかわいい)







結局新潟まで送って頂いて新幹線に乗って帰りました。

地元に安さんが帰ったことで、新発田がより忠臣蔵で盛り上がったらいいなあ。




▲お昼はお寿司食べた。


             ふたつともえ


安兵衛さんへの愛から東京のゆかりに談じ込んで、なまなかではない夢を実現させたのは一頭地を抜いている気がしました。
が、各地が右へならえばたちまち泉岳寺の墓所はせわしないありさまとなり、そうなれば今後泉下に如何なる粗相をなさんも計り知れんと存じますから、まずはこれにて御免下し置かれまするよう…

そんな、ファンの気持。

…余事を失敬。

 

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いばらき忠臣蔵(2)

 

忠臣蔵ビギナーの皆さんのドアボーイ・もりいくすおがお送りする「ゆかりの地」散歩・茨城編。
後編をお届けいたします。

 

実は「忠臣蔵」にゆかりのある茨城県。
ドライブシリーズ後編は笠間にやってまいりました。
(最後に水戸も寄ります)


お父さん浅野長政がおさめていた茨城県・真壁を継いだ三男坊・浅野長重さんは(広島のご本家は長男さんが継いでる。)、大坂の陣で活躍を認められて加増。笠間の藩主となります…。

 


真壁を後にしたあたしたちは三左衛門さんの運転で笠間へ。お昼ごはんは笠間で予定しております。

 

 

 

 

ところで3人でドライブ行くときの、助手席と後部座席ってアレ、どういう人がどう座るのがいいんですかな。
前に高校時代の友だちのクシマに自動車乗せてもらった時に、あたしと森井ユカがふたりで後ろに座ってたら「なんだかおかかえ運転手みたいな気分だな」と言ってたので、なるほど失敬。「3人でドライブ」という感じが出ませんな。
あたしゃ実は後部座席がゆったりしてるんで好きなんです。日当たりから自由に逃げられるし(日焼けするそばから顔にシミが発生する)
だからてっきりみんな、後部座席が好きなのかと思って、以前に日光江戸村とか行った時にAさんをうしろにうながしたんですが、こないだ吉良町をご一緒したときAさんは「前、いい?悪いねつって、助手席がお好きなご様子でした。
「そっかぁ。ひとによるのだなあ」
後部座席のウイークポイントを想像すると孤独感を感じる人もいるのかも。こんどAさんに聞いてみようかな。
というわけで、特に希望のなかった女子のとわさんには道中、助手席に座っていただいてます。

 


さて

そんなことはともかくw、でかけた11月の笠間はちょうど菊まつり。
も「忠臣蔵の菊人形とか、あるかなあ」
と「毎年、菊人形はNHK大河ドラマが題材になってますね」
なるほどねえ。
んまぁ、そらしょうがないわなtehe
で、車内の3人は放送中の「おんな城主 直虎」をほとんど見ていなーい

 

お祭りがあるとなると、なんだかいろんな美味しいものにありつけそうな期待がふくらみまする。

 

さんぽの計画としてはまず、笠間に到着したらお金のかかるお参道の駐車場は避けて、笠間城(つか下屋敷か)周辺に無料で駐められるところを探し、徒歩でお稲荷さんなど回ろうということに。

 

 

 

 

というわけで

駐車も兼ねる「笠間藩下屋敷跡」とうちゃく〜(地図1)。

お城自体は1200年台にこの地の笠間の殿さまが建てて、380年後に笠間がほろびて殿さまがいろいろ変わるんですが、1600年代にわれらが浅野長重が藩主について、政務のつごうで本丸じゃなくここに下屋敷を建てて落ち着いてたそうです。

 

 

 

 

大石内蔵助のひいおじいちゃん良勝(よしかつ)がこの笠間城主・浅野長重のご家老になるんですが、浅野と大石の関係はここからスタートするんですね?
代々の主従なのですねえ。それを考えると、やっぱ討ち入るわなぁという想いがいたします。

うん。なかなかルーツをたどる旅ですな。

 

 


▲そういうわけで大石内蔵助像。
 でも、同じ
内蔵助と言う名でもご家老の良勝
 やしゃご?である忠臣蔵の
良雄(よしたか)

 

でまぁ〜
こちら下屋敷跡はのイチョウがもう、良い黄色になってましてねーっ。
ひろびろした敷地内に観光客の姿も殆ど無く、隣接する小さな公園でおじさんがひとりで稽古してる津軽三味線の音色が遠く聴こえてて、たいへん気分が良い。
ギンナン踏まないように気をつけながら坂を降りてお稲荷さん(菊まつり)方面へ向かいます。

(ちなみに、前回と今回の茨城旅はこの10年でもっともドングリを見た日となりました。こちらもだったんですが特に勝田家の墓はドングリじゅうたんでした。)

 

 

 

 

で!
下屋敷御殿のすぐ下に、あるんですなあ。

大石邸跡が。下・指さし(地図2

 

 


良勝と、その息子の良欽(よしたか)が住んでた。

 

 

山道を参りますと、特にテキ屋さんが露天を展開してるわけでもなく、ご当地のお店が通りかかるお客さんに声をかけております。
うちの地元の祭もそうですが最近はテキ屋さんの出る幕が少なくなりましたな。
(後述のお稲荷様には唐辛子売や野菜、焼き物=笠間焼などの露天がでている)

 

 


▲参道。この先、右がお稲荷様。

 

 

昼時分のせいか食べ物やさんに目が行くんですが、おまんじゅう屋さんがちらほら。
くるみまんじゅう、ですって!
(むかし、ここいらは胡桃の密林があったそうです)

 

で、おいなりさんですよね!やっぱし!

油揚げメシ(<この言い方気に入ってる最近)
ごはんのあと、おやつで帰りに買って帰りましょう。
蕎麦屋もよく目につくんですが、どこ入る?三左衛門さん。

三「せっかくだから忠臣蔵ゆかりということで
  笠間義士会御用達のお店に参りましょう」

んあ〜。そういうところがあるんですね。
しかし日本各地に「義士会」があるんですなあ。

三左衛門さんが一度行ったことがあるというその店は、目的地の笠間稲荷神社さんをいったん通りすぎて参ります。

13時頃になってましたかな。
そのお店=つたやさんに入るとお客さんはみっちりでしたが、すぐに席に案内してもらえました。

 

 


▲を〜たしかに看板が!
 「笠間義士会そば講處」とあります。
 …で、どういったゆかりなん?

 

 

すでにいくつかの人気メニューはソールドアウト。
あたしと三左衛門さんは鴨南蛮食べたんですが(なっかなか出てこなかった<個人の感想です。、とわさんがきつねそばをたのんで、
だよなあっ!と反省。
うっかり鴨たのんじゃったけど(アヒルだそうですな)、お稲荷様お参りに来たらきつねを食えよ!俺!

 

あと、最後まで迷ったのが「そばいなりずし」
食べりゃあよかった。(ちょっと値が張った)

 

なんかね、この3人組で居ると、史跡以外にガツガツしてないんですよね。
お墓を見るときは顔にクモの巣がへばりつこうがクツが泥だらけになろうが粗悪な道路だろうが他人に怒られようがガツガツ行くんですが、そばいなりずしは食べない。
笑っちゃう。

 

さっ
腹もできたし、来た道もどって神社散策!

 

 

 


▲通称:「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)

 (地図3
 日本三大稲荷神社なんですから。

 

はぁもう、境内はそこかしこに菊が飾ってあってかわいいです。
季節ごとの花を楽しむという日本人の習慣、ほんとかわいい。

 

いつもやってるのか今年の特別なのか、「假屋崎省吾の世界展」なるもよおしもやってます。
入場料1000円。
菊人形展は800円ですが、假屋崎先生のチケットを買えば1000円で両方が見られるお得券。
…ということがどれほどギャラリーに伝わっていただろう。
假屋崎先生に1000円。菊人形にさらに800円かかると、あたしも勘違いしてましたもん。
いや〜一般のかたがたが愛でた菊がそこら中に無料で飾られているのにどうして1800円もあらためて払えようか?と。

ともあれ花にガツガツしてない3人は、境内のそこかしこに「入選」とかぶら下げて飾ってあるたくさんの菊に、じゅうぶんお腹いっぱいになってましたので、すいません、假屋崎先生と直虎菊人形は見ませんでした。

假屋崎先生の券で菊人形も見られることをハッピ姿のスタッフさんが会場の前で声を張り上げて案内しておられました。。
イベントのむずかしさをいろいろ考えさせられました。


浅野家下屋敷の駐車場に戻る道すがら、とわさんが

「正月は人で溢れてる」

という「くるみ稲荷ずし 二ツ木」さんへ。
あたしがオーダーしている間、三左衛門さんがとなり(ほんとは民芸品屋が一個はさまる)の「胡桃饅頭 吉田屋」さんへ。
良い連携だ!
おやつだいすき!

 

 


▲街がお花だらけhato 奥の赤い看板がお饅頭。

 


▲この日は先客が一組だけで人は溢れていなかったBLIGHT

 

が、

くるみ稲荷すしが待てど暮らせど出てこない
お客があたしだけでこれだけ待たされればそらぁ客であふれるわ。なんて、ごめんなさい(笑)。
こうまで待ってでも食べたい胡桃すしとは!?
(それとも、この時だけだったのかな?<待ち時間)

 

駐車場に戻っていお稲荷さんをただきますと、酢の控えめなシャリにいい意味でバサッとした感じの油揚げはいい甘さ。ここに胡桃のクランチーな感じと風味がほどよく混ざっててなんとも美味であります。
これはガツガツいただきたかったかな!
7つ入りパッケージをなかよく分けました。

 



▲くるみいなり(左)7個750円

 

くるみまんじゅうも控えめな甘さに胡桃の…て、あれですな!ナッツってなかなか有用ですな。
なんか、イレギュラーな美味しさが到来しますわ。


さて
忠臣蔵ドライブはここで終わり。


とわさんを送って我々も帰るかと思いきや、なぜか三左衛門さんが水戸にホテルを取ってたので一泊なんですな。
運転ありがとうございました!おつかれさまでした!
の乾杯はやっぱりやりたいですが、けっこう贅沢なスケジュール。

 

 


▲三「東へ東へ来たんですなあ」

 

三「あしたはどうしますか」
も「ちょっと放ってきた仕事があるんで」(と野暮な回答)
三「じゃあすぐに東京に」

 

夜はホテルの眼の前にある「はなの夢」なる居酒屋さんでおつかれさん会。

 

 

呑んでたら、やっぱ、せっかく水戸なんだから、水戸黄門に触れて帰りましょうや!
ということに。
BLIGHTお酒って、いいですなBLIGHT

 

 

一夜明けて

それぞれ個室だった二人は申し合わせたように朝6時半にレストランで「おはよう」
人生で好きなものベスト10に入る「宿泊施設の朝食」(どこのでも好き)をいただいてたら泊まり客はライダーばかり。
なんでも茂木でレースがあるとかで人が集まっており、現地で宿が取れなかった人達が水戸まで流れてきているという。
目の前に、もうそのままレース会場に出られる場違いなコスチュームで、化粧までがっつり決めたレースクインがふたり、ジャンバーだけ羽織って朝食をとっており、それが背後のことでなにも気づかない三左衛門さんのハナシを終始うわの空で聞いていたわたしは、彼に教えてあげてうしろを振り返らせる友情を取るか、他人の目を気にせず彼女たちに朝食を楽しんでもらうジェントルマンシップを取るかで…あんまり悩まず三左衛門さんにはなにも言わなかった(笑)。

 

 


▲ごはんにソーセージは鉄板

 

そてし!
いや、そしてまた三左衛門さんに運転を甘えて午前8時半頃
(出立は8時頃でした)
水戸黄門を祀っている常磐神社に到着!

…早すぎて店も宝物館も開いてない(笑)。

 

 

 


▲水戸光圀をアイコンとした楽しいアプローチは正しく、楽しい。

 

水戸光圀は忠臣蔵時代の登場人物でもございまして、赤穂事件の前に徳川綱吉の悪政を批判するような立場でドラマに登場することもございます。(お隠れになるのが赤穂事件の前年)

また助さん&角さんのユニットで有名な角さんのモデルとなった安積覚兵衛は大石無人の長男・良麿から忠義碑のライターを頼まれて断ってるとか、内蔵助のおばあさんが水戸藩でお勤めしてたなどなどのかかわり合いがなにかとあるようでございます。
(ですか?)

ていうか、前日わかれたとわさんが水戸黄門も大好きだから、来ると決まってたらお誘いして熱いところを語っていただきたかったものですわい。
そこは今後、バトンを譲るとしてここでは、とにかく神社に隣接する偕楽園(かいらくえん)が広々して素敵で、7代藩主の徳川斉昭(なりあき)が建てて一般に開放したりした(ですか?)別邸(好文亭)がなかなかようございました。

ああ、殿さまもこの景色をご覧になってたのだなあと。

 

 

 

 

 


墓だ祠だと興奮していましたが、
・・秋だったんですね。

 

 

 

 

中がどうだったとか、景色がどうだったとかはもう、皆さんお出かけください。
こんなちっぽけなフレームにはおさまりません。

そんなわけで明るいうちに東京に戻った私たちでございました。

(2017.1011〜12)
 

 

              ふたつともえ

 

 

水戸の水戸藩主推しは観光の材料として一点勝負でブレがなく、「ここに来なきゃ他に無い」感が良かった。
赤穂義士と言いながら、墓が江戸なんだから、わたやの社長「骨を返せ!」wと迫るのもなんとなくわかる気がする。
やすさんが新潟県・新発田に分骨されるのが許されるので、ことによると全員里帰りなんてことが!?

 

 

<余談備忘録>
東京に到着後、駐車場でゆっくり転んで
「この程度のスピードで倒れるならたかが知れとるわい」
と倒れ込みながらアクシデントをバカにしてたら、肩からぶら下げた一眼レフの上に倒れてしまい、わき腹をしたたか打ってもう、呼吸が止まるかという痛みに見舞われました。
送ってくださった三左衛門さんが心配してくれましたが、やせ我慢をしましたとさ。

 

 

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いばらき忠臣蔵(1)

浅野長政

浅野内匠頭長矩ながのり)のひぃひぃおじいちゃん?
もともと秀吉のブレーンだったが、秀吉の死後は関が原の戦いで徳川側に立って活躍し、徳川家と仲良くなる。

忠臣蔵物語の素=赤穂事件よりさかのぼること95年ぐらい前…
長政はからいろいろ功績を讃えられて、徳川秀忠時代に茨城県は真壁を与えられ、領主となります。

長政が死んだあとは息子(三男)の長重が引き継ぎました。
で、いろいろあってのちのち兵庫県の播州赤穂に引っ越すのですがそれはのちほど。



そうなんです。

赤穂浅野は、その昔、

茨城県の殿さまだったのですね。

そんな真壁に行ってまいりました〜!
(そのあと笠間、水戸に回ります)







今回のおでかけは、いろいろくわしい先生・三左衛門さんと、
先日一緒に谷中散歩をした、とわさん。
とわさんは茨城県にくわしいところにお住いなのでお二方のお話が聞けます。


時はまさに11月11日!サムライの日!
(十と一で、士になるから)
朝、もりいは8時に山手線・大塚駅前で自宅から用意してくださった三左衛門さんの車に乗車。東京からスタート。
約2時間でJR水戸線・岩瀬駅でとわさんをピックアップ。
まもなく真壁に到着しました!

まずわ!

四十七士の、勝田新左衛門さんの供養塔(&勝田家の墓)を見に参ります。


実は勝田家、こっちの土地の一族だったそうでして、もともとのここの領主・真壁氏の配下だったそうですが分家して、のちの笠間藩主・浅野家に仕えたのが四十七士・勝田新左衛門のおじいちゃま。(笠間は次回)

三「こっちこっち!」

なんにもない山の中腹で車を止め、つづくとわさんも

と「わたし前に来たとき、わからなかったんですよ!」

えっ!?ここへ?
とわさんは学生時代にまったく歴史ノンケの友人3人を連れてここまで来たそうで、この人、ホンモノだなと。
ともだちはキョトーーーンとしてたそうで、さもあろうなと(笑)。



▲だってこんなところを行くんですよ!
女学生が遊びに来るところじゃなくね?(笑)


▲天気だけはめちゃくちゃいいんですが・・


▲ていうか、ぜんぜん墓場じゃないじゃないですかase2


へんなの!と思ってたら実はこれ、お寺が奥(上)の方にあるんだそうです。
我々は逆に裏から入ってるんでこんな感じなのである。
(<楽法寺さん。通称雨引観音。境内かというと微妙)



▲フと右を向くと階段がございます。
つくづく雨じゃなくてよかった。。。



▲勝田家のお墓。
ごめんくださいまし。
 …どれでしょう?とわさんがわからないのも無理がない。


じゃーん


▲こちら。勝田新左衛門さんのご墓標。

周囲の老木から折れ枝が降り注ぎ、雑然としております。
テグスかと思わんばかりのしっかりしたクモの巣が顔にへばり付く。

墓石と墓石に隠れるようにある、シュッとした板碑(いたび)スタイル。
新左衛門の家が赤穂についていっちゃったので、この地元に残った勝田本家が討ち入りのあとで一族の墓地にこの新左衛門の供養塔を建てたそうです。



三「つぎですが、勝田神社があるんです」
く「おねがいします!」
そっちはとわさんも行ったことがないとか。
手を合わせて墓地をあとにします。




▲霊峰・加波山(かばさん)をあがる。

みちすがら、この車を見かけた地元の人はきっと
「どこにいくんだろう??」
と、思ったに違いない。
だって八王子ナンバーが石の採掘場へつながるヘンな狭いガタガタ道を行くんだもん。
ときどき道端に、輸送中に落とされたと思しき巨石もある。
譲り合いながらすれ違うのはダンプだけ。
うねうね波打つ地べたは亀の甲羅模様のようにひび割れていて、ところどころめくれて土が見えている。
「アスファルトって舗装しないとこうなるんだあ」
と、わたしは変なことを感心。

左右上下に揺られながら
三「新左衛門が武芸の上達を祈念して建てた石の祠(ほこら)があるんです」


で、とうちゃく〜!



▲とうちゃく??


この、分かれ道の丘の上にあるという。。。
草ぼうぼうに生い茂ってるが、この丘、石垣だそうです。



▲またこんなところを・・・



しかし無い。





「たしかにここにあったんですよ!」


石塔の立ち並ぶ中で、台だけ取り残された瓦礫を指さして三左衛門さんは興奮気味に言い、立ち尽くす。


三「これ、もしかしたら…、
地震でうしろに落っこっちゃったくさい!」





ふたたび道路に出て茂みをかき分け、覗きこむ一行。





▲崩れた石垣は確認できるが
それらしき祠っぽいもののパーツは見つけられない…。


かつて東日本大震災は茨城にもたいへんな被害を及ぼした。
地割れやら土砂崩れ、停電断水、線路が曲がっちゃったりの前に、わたしの体験した東京の被害はおよばない。


ここで
在りし日の石祠の画像をご覧頂きましょう。



▲平成18年に撮影されたもの。
 
ま、落っこちたのか、石垣が心細い状態で危ないってんで解体したのか…
ともかく、ざんねんです・・・

気を取り直して、ほど近い真壁城の跡へ。





三「(カーナビを見ながら)国指定の史跡なのに真壁城跡が載ってない!」



▲しろあと。




もともとここいらを取り仕切っていた真壁氏が引っ越して(移封)、20年くらいして浅野家が入ってるんで、荒れてる城よりも、近くの陣屋(ここでは役所のこと)に浅野家は居たとも言われているそうです。



▲陣屋跡はいま歴史民俗資料館。


民俗資料館で、遺跡や宝物を見たあと表に出ると、敷地内は資料館の他にもホールなどいろいろ施設があった。
図書館から飛び出してきたテンションの高い幼稚園児になぜかキャッキャと砂利をぶつけられながら、こんどは真壁最後の目的地
「どっこい真壁の伝正寺」
に、向かうため車に乗り込みます。

そこには浅野長政夫妻の霊廟がございます菩提寺。
お墓、赤穂義士人形もあるという。





▲ところが到着してみると…
 「立入禁止」の立て札があちこちに…


どうやら、こちらも地震による被害があり、
修復工事をしているようだ。

しかしなんですな。
たくさん並べられた「立入禁止」ほど雄弁で威圧感のあるものはありません。
なんとなく苛立ちの匂いすら、感じる。

それでも「はなせばわかる」と信じこんでるもりいはどんどん行こうとする。
「奥へ行くなら一応、仁義を切りましょう」
いかにも三左衛門さん、それは正しいと思います。

だだ広い敷地に建つ、やっと修復が終わったといったかんじの真新しい屋根のご本殿の横にあるプレハブに「寺務所」のはりがみ。
そこを目指して進んでいくと、到達のずっと前でプレハブの引き戸がガラッと開き、中から出てきた作務衣姿の男性が一直線にこっちに向かって歩いてくる。(たぶんご住職)(すまけい似)。
早くから我々の接近をとらえていたようであります。

うむ。やっぱり気まずい・・!
気まずさをごまかすように近づきながらこちらから先に声をかけた。

も「浅野長政夫妻のお墓参りをしたいのですが…」

それに存外冷静に対応してくれる御仁

◯「地震で廟はゆがみ、危険だし、
そんな状態は長政さんも嫌だろうから…」


ここで、こちらに反論の意思がないことを伝えようとあせった三左衛門さんがややかぶせ気味に

三「見るに忍びないということですね」

そう言うと、じゃっかん住職の顔色が変わったように見えた。

◯「…そもそも"お墓を見る"という行為自体が間違ってると思うんですが」

なむさん、言葉選びを間違えた。
(そもそもこの感じではどう言っても入れる見込みは無さそうだが)

いやはやごもっとも。
遠巻きに私たちの様子をうかがってた、別の4〜5にんの老齢の見学者もともにすごすごときびすを返す…


失礼をいたしました。


かつては茶屋もあり庭園も豊かだったという、有名な伝正寺。

地震がなにもかもを奪っていってしまった…
そんな感想の真壁を、われわれはあとにいたします。



しっかし
とわさんとは、お散歩は2回しかごいっしょしてませんが
こないだは書道博物館で別の客からうるさいと怒られるし、今回は寺で門前払いを食うし、「こいつらイイ年をして一体なんなんだ?」と愛想を尽かされやしないか(笑)。



ふたつともえ



お父さん・長政から真壁を引き継いだ三男坊・浅野長重は大坂の役(大阪夏の陣)に活躍し、赤穂事件よりさかのぼること79年ぐらい前に、笠間に転出をします。


BLIGHT次回は笠間を訪れますBLIGHT

 

 

▲イノシシは真壁家のシンボルマーク。(旗指し物の印)
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大江戸ワハハ本舗・娯楽座さん


11月29日から12月3日までドンちゃんと楽しくミュージカルする忠臣蔵!
ポカスカジャン&大江戸ワハハ本舗・娯楽座合同公演
ミュージカル「忠-SING-蔵」
29日の前夜祭にはもりいも登壇して

なんと主宰の喰始さんと進行をやる!
(たぶんTBS落語研究会の榎本滋民orお江戸でござるの杉浦日向子のポジション)

お誘い合わせの上、どしどしご参加を!
http://wahahahompo.co.jp/stage/koen/psj-grkz/191129_chushingura/index.html




▲絵はもりい



さて!
そんなバカバカしいエネルギーが噴火している娯楽座「歴史同好会」のみなさんと先日、泉岳寺から両国吉良邸まで逆流さんぽいたしました!
その顛末がつぶさに、参加者(忠臣蔵ラブ)の雨宮あさひさんのブログにございましたので、ここにご紹介!

ともかく、途中築地でもりいが狼狽しております。



「忠臣蔵さんぽ」



「その1」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12322963334.html

「その2」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12323736390.html



そてし!いや、そして!
出来上がったチラシをゆかりの地で配ったスピン・オフもお楽しみください。

討ち入り装束でお参りしたのは初たいけーん!
ハロウィーンだったので通報されませんでした。



「ハロウィンづいてる」



「その1」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12324437766.html

「その2」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12324437947.html



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