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世間のイラストへの意識

 

 いま、仮名手本忠臣蔵をモチーフにした仕事をしていて、資料で、演劇のとある雑誌(平成11年リリースのもの)「忠臣蔵ゆかりの江戸史跡図」というイラストMAPが載ってて、内容を見てビックリした。

 縮尺がめちゃくちゃなのは、イラストマップの愛嬌と百歩譲るとして(?)、地図として機能していない(簡単に言うとテキトー)のです。これについて、かなしかったのが…

 
ショック その1
編集部に、ミスを指摘する人が誰も居ないこと。

 
ショック その2
イラストレーターさんは有名な美大出身で、
堂々と「絵地図師」を名乗って、いまもご活躍でらっしゃること。

 
 自分も、不得意分野の雑誌の仕事で、釣り道具についてリサーチをおざなりにしてしまい、猛省したことがあり、誰にでも間違いはあると思う。
 芸人さんの2丁拳銃さんの「拳」の字を間違えて、ファンの方から脅迫状をいただいたなんてこともございます。
 皮肉でもなんでもないのですが、先生がその後も「絵地図師」でご活躍であるところを見ると、この演劇雑誌の仕事にかぎっては、なにか深い事情があった(すごく急かされたとか、なにかすごくイヤなことでもあったとか。もしくは平成11年現在では、この種の仕事では駆け出しの頃に当たるのかもしれません)のかなと・・・
 ご本人がこの仕事を自分で恥じたからこそ、その後は挽回して現在、イラストマップの第一人者としてご活躍なのだと推測いたします。
 
 とにかく、かなしいのは「その1 指摘する人が誰もいない」件なんです。
 以前に、講談で大きくなった会社のくせに、ヘンテコリンな忠臣蔵漫画の本がリリースされたことをこのブログで嘆いたりしましたが、ほかにも、先日お亡くなりになった山本博文先生は挿絵に関してのディレクションは、はなはだフワッとしてたりします(努めて控えめの表現)
 こういうことは、テレビでもまま、あります。ディティールがいいかげんな絵でも平気で放送しちゃう。

 
 イラストって「ユーザーはどうせ真剣に見ちゃいない」ということなんでしょうか…。

 
 するとね、あたしも、自信を持って仕事をしているつもりなんですが、ご覧のみなさんは「もりい、ものすごく間違ってるけどなぁ」と思いながら大目に見て?放置してる大失敗もあるのかなあ…と、疑心暗鬼になってしまう。

 もっと言うと「そういう低いステージのものには、そんなに支払わなくても、かまわないだろう」という意識にも通じてくるとしたら、これは、あまりにかなしすぎるのであります・・・。

 
※地図上のポイントについて、もりいくすおの認識が間違っていたら、それはそれですいません。

 
▲右が正解。
もりいがかつてやった、引き揚げルートネタの資料なので、ルートから遠い毛利邸がハブられております。だいたいミドリのあたり。
| もりいくすお | - | comments(0) | - |
やまがた忠臣蔵(3)

やまがた忠臣蔵(3)


 2018年秋。
 もりいくすおは、仲良しの忠臣蔵友達・山三さん、そして隊長とともに山形県の米沢などに出かけました。
 途中、東北某所在住の史料コレクター・オヤビンとも合流し、4人でぶらり。

 その半年前に、もりいくすおは雪の中に墓参りに出かけて、お墓が雪に埋まってたので、さっぱワヤだったのを、山三さんが憐れに思って企画してくださったのです。
(春の本来の目的は地芝居を見に行くことにありましたもので。その顛末はこちら>やまがた忠臣蔵
 

 


▲簡単に言うとこういうこと(雪のあり&なし画像)


 さて、この旅、忠臣蔵友だちの山三さんの運転するお車に乗せていただいてあちこち出かけます。
 いつも本当にありがとうございます。

 これから向かいますのは、吉良さんゆかりの、あちこちの墓地。
 もともと、奥様が上杉家(米沢藩)のヒト。そして自分の息子を米沢の上杉家へ養子に出しましてな、たいへんご縁が深い。
「吉良は名高家であって、名君ではない。と、内海定治郎さんは言ったな」てなことをウワサしながら、まずやってまいりましたの が「上杉博物館」。(MAP 

 山三さんが館内のお知り合いにご無沙汰のご挨拶というので、一緒にぞろぞろと、無関係な大人、わたしたち3人も事務所の中まで付いてまいって失礼いたしまして、それからゆっくり館内散策。

 特にこの当時、あたしは「ゾンビ忠臣蔵」の小説を書きたがっていたので、ネタになりそうなことを、いろいろジロジロ。
 そそ。あたしにはこの米沢旅行は、観光のリベンジとともに、ネタ探しの旅でもございました。

 米沢の鉄砲がでっかくて特徴的だったので、清水一学に与えて、一学がハマっちゃって、江戸城警備の鉄砲隊と仲良くなるっていう、それでゾンビをぶち殺すエピソードも考えましたが、結局。ボツに…。
 オートマチックに次の弾が次々に装填されないと、ゾンビ相手に火縄銃ではいろいろ限界があるんですよね。
 でも、江戸城警備の鉄砲隊と「グループ」で活動するなら話は別。
 その独立エピソードでいろいろ膨らまそうという体力は無かったんですねえ。
 

 


▲ぶっとい!でか〜い!
敵キャラがこんなの持ち歩いてたらかっこいいでしょ!


 ほど近い上杉神社さんで柏手を打って、いいかんじにくたびれるほどに散策を済ませ(博物館ってけっこう体力使います)、ホテルの近所の居酒屋で、雑に米沢牛を食べて、就寝。


 翌朝、ホテルのバイキングでご飯を頂いてる時に思ったこと…。
「高校生くらいの若い男子の中には、バイキング方式の朝ごはんの盛り付けに手をこまねいている者がいる。これは日常の、料理担当者への依存度が見て取れる(この場合、ママのイメージが強い)
 トレイに盛られた、アンバランスな食材に見かねて、おじさんが横からアドバイスしてやりたくなっちゃうが、通報されるといけないので、やめる。
(泊まったのは、アルファ・ワンだったかな)
 

 


▲ホテルの朝飯大好きです。


★★★


2日目
 メインその1は、あちこち吉良さんゆかりのお墓参りに出かけます。

 特にその春、雪に埋もれてお参りできなかった、吉良邸のボディガードたちのお墓参り。

 まずは、千坂兵部さんのお墓。in日朝寺さん(MAP◆
 もうね、先輩方と一緒に来ると違いますね。
「建前が雰囲気が禅宗で、日蓮宗ではめずらしいよね」
「明治のメートル法で作ってるんだ」
 という、もう、聴いてて楽しい。
 上杉謙信と戦をいっしょに戦ってくれた、泥足(どろあし)毘沙門がご本尊です。

 このあと、討ち入りの時に赤穂浪士を相手に最も活躍した山吉新八郎さんのお墓(照陽寺)(MAP)や、(上杉家ゆかりの菊姫、直江兼続夫妻の墓、甘粕備後守のお墓参りも(林泉寺)(MAPぁほか)、上杉家廟所へ。

 で、そうそう!

 上杉のご廟でねっ
 ここにいたボランティアガイドさん(おじさんひとり)が、なかなかでした。
 我々メンバーの誰かが、そのガイドさんとの会話の中で「忠臣蔵の…」と、なにかに触れたのを受けて、
「あ、忠臣蔵っていうコトバは、ここではダメです」
「?」
 息をのむ一行。
オヤビン 「(苦笑)元禄赤穂事件、ですね」
ガイドさん「元禄テロ事件です!」
 と、鼻息が荒い。
 なんか、そのあとも「十二代目の奥さんは浅野ご本家から嫁いでるんですよ。ということは…」うんぬん…と、内容をちゃんと聴いてなかったが、「だから赤穂浅野は間違っている」「赤穂では、浅野内匠頭が死んでみんなで餅をついて喜んだんです」というような持論を展開されていた(ちなみに11代目の間違い?)
 こっちが忠臣蔵マニアだと知れれば、どう火に油を注ぐかわかったもんじゃないので、ニコニコとぼけて感心してみせながら、最後まで一生懸命に付き合いました。
 あたし、早々に集中力をオフにして、ほとんど上の空でしたが、聴いてた先輩方はあとで「あれじゃ上越の林泉寺を無視した話だなあ」つってたけど、どんな内容だったのか、そんなら聴いときゃよかった。


 ちかごろ、あまり出会わなかったタイプの頑固なおじさんでしたが、土地柄がハッキリした、こういう出会いというのも「ならでは」でございます。
 ただ、相手を選ばない、一方的なトークは決して愉快なものではない(こっちは入場料金を払ってるのに)ので、こうしたタイプのおじさんが観光にプラスかどうかは、なんとも言えません。(MAPァ

 


 

 そして前回は、どこにあるんだか全然わからなかった、吉良上野介の奥方・富子さんのお墓にも出かけることができました(法泉寺)。
なんだか、案内とは、道路挟んで逆側のお寺さんにあるんですよね。
なんの案内を観ていたんだか忘れましたけど。(MAPΑ

 

 


 

 

 中心地から、北のほうへ車を走らせまして、上杉家家臣の色部さんちだけのお墓・千眼寺まで。(MAPА

 でも、どれが、色部又四郎さんのお墓なんだかが、わからないんですね。
誰もいらっしゃらなくてお話を聞けず、とりあえず、トンボの止まったお墓を参りました。(ホントは、そんな理由ではないが笑)

 

 

 

 

 

 お墓を後にして、ご近所に見かけた、創業明治25年!のラーメン屋さんへ。(ラーメンの始祖は明治40年代と伝わっているので、創業時はお蕎麦屋さんとかだったのでしょうか。)ひゃほう!

 まんぎりラーメンなるラーメンが…。

「米沢牛のチャーシューが乗ってます「まんぎり」とは方言で「完全な」という意味です」という説明がメニューにありました。
 きっと、
「チャーシュー(焼き豚)の代わりに米沢牛が乗ってます」と、おっしゃりたかったのだと思いますが…

 わ〜。この金澤屋さん、けっこう検索するといっぱいヒットする。
 おみそれしました。

 

 


▲米沢まんぎりラーメン…900円。

 

 ラーメンのあと、オヤビンはお帰りになりまして、我々は大野九郎兵衛伝説の山を目指します。

 メインその2。
 赤穂浅野の大野九郎兵衛は、事件当時は大石内蔵助と袂を分かち、講談をはじめ、ドラマでも悪役や裏切り者として表現されることが多いです。
 しかしその真相は、大石内蔵助が撃ち漏らした場合の第2陣として、板谷峠で隠れ潜んでいたと言うんですね。

 どこだろう、なんつって、適当に車を止めては、ぜんぜん違う山道を入って行ったりもしましたが、注意深く先に進みますと、あ あっ道端に案内が出ておりました。(MAP─

 

 

 

 

いけどもいけども…


 

▲パッと開けたところがありまして、そこに碑が。

 

 なにもこんなところで寂しく切腹しなくてもねえ。

 このあと、道なりに進みましたら、「峠」というところに出ました。
 そこで休憩。

 

 


▲「峠の力餅」ということで、せっかくですので…

 

▲いただきまして、舌鼓。

 

 ひょひょひょひょひょひょいと
 会津に向かいます。


★★★


3日目

 会津若松で一泊いたしまして、

 翌朝、山鹿素行先生の誕生碑にご面会。

 

 


▲説明書きに「赤穂四十七士の生みの親」とある。
直江兼続さんのおうちだったんですね。
寄りの画像は「くすや」にあるから、
立地のわかる引きの画で。

 

 


▲だれ?毛糸の玉を先生のところに隠してるのは。

 


 からの、
堀部安兵衛 誕生の地」!!

 会津にあるのです。
 

 


▲を〜。この道を入るんですね。
…ていうか、味わいのある呑みの殿堂!

 


▲貴徳寺さん

 

 

 昭和40年代前半から、会津坂下(ばんげ)のライオンズクラブさんが、いろいろご活躍になって建立。

 

 めずらしや。
 やすさんの両親の墓のとなりには、妙海の墓も並び!?、肝心な一人娘ホリのお墓は無く…
 ルール無用の大暴れ。

 

 そうして、我々はなぜか、坂下町(ばんげちょう)は春日八郎の記念公園へ。
 誰が行こうって言い出したんだ?
 おれか。

 


地元のために音頭を作ってくださったりしたそうです。
 

 


 春日八郎先生のお好きだった色は、チャコールグレーだったそうです。
 皆さんもよくおぼえておいてください。


 最後に、大内宿(おおうちしゅく)に寄りまして、ごはん食べました。
 

 


▲こりゃステキ。
行った当座、Facebookに画像あげたら
「いいね!」をたくさんいただいたなぁ。


 

 

 

▲山三さん、ねぎそば食べたんだっけ。

 


おしまい。

 



 

 


 

 

| もりいくすお | - | comments(2) | - |
とよおか忠臣蔵(4)


 大石りくの生まれ故郷、兵庫県豊岡市。
 2019年の、りくさん生誕350年アニバーサリーに呼んでいただけまして、講演とともに、ウォーキング大会がございました。(正式名称「てくてくりくりく」)
(講演の内容はこちら>●)

 そのお散歩ルートは、ご当地の忠臣蔵ゆかりの地をフルコンポ(要確認)しております。
 それではご紹介がてら、お散歩の顛末を。
(けっこうな長文御免…長文っていうか、写真多し)

 まず、イベントの前の晩でございます。
 播州赤穂は花岳寺さん(赤穂浅野の菩提寺)の案内板をいっしょに作った(2018年のこと)赤穂のイラスト仲間、マエカワマサミさんが、講演の前の晩に駆けつけてくださいまして(同じ兵庫でも、3時間以上かかる!)、とにかく祝杯(なんの?笑)
 一泊して、翌日の講演に参加してくださるっていうんですからもう、感激っ!!!!
 このお店がさ〜!あたしが受け持ってるデザイン学校の、豊岡出身の教え子A氏が薦めてくれて〜!うれしいしおいしいし、おかげさまで、よく酔えましてよ。


▲居酒屋・ばらっどさん


 さて
 カラスかあと鳴いて夜が明けますと、歩く気満々のいでたちのみなさんが、集合場所の市役所前に集まっておられます。マエカワさんもいらしった。
 で、あたしゃてっきり、散歩と講演は一緒の企画なのかと思ったら、参加してらっしゃるウォーキングを愛する先輩方は、特に講演をパッケージとして考えてらっしゃるとは限らないそうで(ま、人によるでしょうけれども)、道理で出発を待つお集まりのみなさんは、討ち入り装束のあたしのいでたちを不思議そうにしげしげご覧になって、頭の上にでっかい「はてな」を浮かべておりました。
 

 「そんなら」てんで、ほんとうはあたしは、ちんどん屋さんのように道すがら、すれ違う人に本日の講演のチラシを配ろうと思っていたんですが、出発地点で周囲の先輩方に配りまくったのでありました。
 くだんの教え子が「いや〜。豊岡で70人集めるのはむずかしいでしょう」と、脅かしてくれてたもので。笑
 結果的にお散歩メンバーから何人もが参加してくださったので、甲斐はございました。



▲この看板だもの。照れちゃう。
今回はすべて、こちらの観光協会のハマダ事務局長にアテンドしていただきまして、大感謝。


 いよいよ豊岡市役所を出発いたします。
 まずは「とよおか」という名前の由来があるそうですが地元の人も滅多にいらっしゃらないという御霊神社(ごりょうじんじゃ)を、フワッと通りがかりまして、第62大横綱・大乃國がお好きだというスイーツ・鹿まんじゅうのお店を通り過ぎ、…こりゃ、あくまで「大石りく ゆかりの地を歩く」がメインでありますからして、いろいろ割愛でございます。
 また、しょっちゅう立ち止まっていては、せっかくの運動の邪魔になりましょう。




 最初のポイントは、石束家(りくさんのご実家)の菩提寺・養源寺さん。(MAP1)…一番下にまとめて地図をナニしております。
 地元ご領主・京極家のご家老様です。
 娘を大石内蔵助のところに嫁がせたご縁というか、因縁で、数奇な運命をたどります。

 で、あのう、過去にこのブログでご紹介した場所については説明を端折りまして、画像も貼らなかったりしますので、ご興味のある方は、2017年の記事「とよおか忠臣蔵(1)」「とよおか忠臣蔵(2)(<リンク)を、お楽しみくださいませ。


▲歴史博物館の石原さんの解説をみんなでうかがいました。
石原さんは、大石りくさんの大研究家・瀬戸谷さんの
お弟子さんでらっしゃいます。現在、りく研究の第一人者。


 そして、歩いてすぐの、昔はよく暴れたという六方川(ろっぽうがわ)のむこうに、おおなつかしや!りくさまの遺髪塚!
 が、そっちに向かわずに、水門のある方へ、グ〜ッと迂回いたします。
 聞けばこのお散歩イベント、目標の歩数がおありだそうなんですな。
 それじゃあ、歩数を稼がなきゃ。



 そして、ようやく正福寺さんへ。(MAP2)
 りくさんの銅像や遺髪塔がございます。



 こちらで、りくさんの研究書「忠臣蔵を生きた女」の著者・瀬戸谷晧(せとたに・あきら)先生の奥様と、ご子息・タダシさん夫婦とお会いすることが出来ました。
 故・瀬戸谷先生は歴史研究家とかではなく、豊岡市の文化財管理センターの所長さんでありました。
 その方がこの名著を書き上げるという奇跡。脱帽。
 ともかく、今回の講演は、忠臣蔵文化愛好画家といたしましては映画の話と、先生のご本の受け売りで、面白くまとめたのでございまして、ご家族のみなさまとの対面は感激でございました。



▲感激といえば、ああた。
りくさんが寄贈したという磬子(けいす?きんす?)
これを叩かせていただいたのです!
ひょえ〜!もったいなや。



▲ 俳人・京極杞陽先生の句碑のシミが、あたかもりくさんが寺の方に向かって拝んでいるかのように見えます。


 さあ、そこからそのままコミュニティセンターに参りまして、一席ぶちまして、みなさんと一緒に「りくなべ」を堪能。



▲瀬戸谷家のみなさまにも、与太話を聴いていただいて恐縮。




▲りく鍋に舌鼓・・


 あたしゃ、討ち入り装束の衣裳のまま、散歩、再スタート。
 健脚の団体様とはちょっと別行動を取りました。
 ハマダ事務局長と、マエカワさんと3人でマイペースにて、てくてくいたします。

 最初に訪れたのが、りくさん誕生の地


▲ここがほんとの、りくさん誕生の地


▲50mほど離れたところでご案内。

 案内碑を建てた方が、誕生の場所と、50m離れた、育った場所を間違えちゃったらしいです。
 ご家老のお家で、お屋敷は広かったことでしょうから、両方正解ということで!
(MAP3)


▲図書館にて、あたしのミニミニ展覧会も
やってくださいました。
ありがとうございます!



神武山公園。このかっこうでどれくらい歩けるか
良い体験になりました。
つか、ハマダさん、ずっと看板持ってるし!笑
(MAP4)



▲街が一望。


 こちらには昔、お城があったんですな。
(但馬の守護・山名氏から始まって、城主の杉原さんの時に断絶して破却。)


 このあと、こりゃ、忠臣蔵と関係ないんですが、平田オリザ先生が今度こちらに移住してくるってんで、この土地に国際観光芸術専門職大学(仮称)ってのを、こしらえようっていうんですな。
(MAP5)




 おどろきましたぁ〜!
 平田オリザ先生といえば、数少ない、「忠臣蔵も、ももクロも、両方ご縁のある劇作家」でらっしゃいますからなあ。
 いま豊岡は演劇の街を目指して、劇場もオープンだそうです。
 成功を心から祈っております。
 つか、大学、聴講生でまぎれこみたいわ。
 先生ときたら静岡で忠臣蔵劇をやるのに100人お参加者を募集中です。



▲仏門に入ってた、大石家次男・吉之進さんのお墓
(MAP6)


 さあ、そして、あたしが数年前にうかがった時に訪ねることができなかった、石束家(りくさんのご両親)のお墓へ。
(MAP7)




瑞泰寺(跡)さんはなかなかワイルドなたたずまい。



▲で、うかつにもお墓を間違えちゃった。
画面左(矢印)が、お目当てだったのに、
正面のでかい方に手を合わせたりして。
失礼いたしました。



▲ご領主・京極家の菩提寺。
墓所がまたなかなか、風情がございます。



 さて、ここでマエカワさんとはバイバイいたしまして、あたしも宿に帰りまして着替え。
 ハマダさんとふたりでコウノトリの郷(さと)公園へ。
(MAP8)

 こちらでは、絶滅危惧種のコウノトリの保護、増殖、野生復帰をもちまえといたしました施設。
 明治時代?に乱獲のために数が減ってしまったコウノトリさんはもう、ここいらでしか生きたコウノトリを見ることができません。



▲うまれた、わたし。着替えを済ませて、のびのび。



▲ごらんください。虹と、コウノトリ(右の白いの)
こんな素敵な場面に巡りあえて、りくさんにねぎらっていただいたような、澄んだ気持ちになりました。


ありがとうございました!



〜more!more! 豊岡観光〜

      without 忠臣蔵


 忠臣蔵から離れますので、いったんタイトルをあらためました。

 さて
 カバン生産量が日本一の豊岡には、カバンストリートというのが商店街のゾーンにございまして、奥様が「豊岡理玖子会」の会長をやっておられるウエムラさんの工房をのぞかせていただきました。(MAP9)

 しびれるマシンが(素人には用途不明)いっぱい!
 おもてなしのお芋をいただきながら、ご主人より
「カネは追いかけると逃げていく。
 その日食べられるだけの金があればいい。」

 名言!いただきました!
 ウエムラ氏は日本で5人しかいない、
 カバン・マイスターです!



▲かっけ〜〜〜〜!!!!!



▲一緒に写真撮りそこねました。笑


 豊かな1日がおわりまして
 いろいろ泊まったホテルの中でも、近年もっとも、加齢臭の無い寝具で快眠。

       ★

 翌日、ハマダさんの運転で、豊岡巡り。

 途中、瀬戸谷先生のご自宅に寄らせていただいて、なんと「豊岡と大石内蔵助夫人」の表紙のお人形とご対面!
 この本は、赤穂義士研究科の内海定治郎先生の書かれた本を、この本がきっかけで研究を始めた瀬戸谷先生が復刻したものであります。



▲意外に大きい!

 ご子息・タダシさんも連れ添って、3人で城崎(しろさき)マリンワールドへ。
 なんという、ほんわかした日でしょう!
 恐怖に引きつった顔でダイブするアシカ(アシカショーによる)も愛嬌あったし、イワシのダンス(という、映像とイワシの群れと音楽、そして動く客席を駆使したショー)も結構でしたが、こちらは展示物の見せ方が素晴らしかったです。
「展示」というものについて、来館者の居心地をよく考えた、かっこいい空間。



▲見よ!勇気をふりしぼってダイブする
アシカ君を!
この後この子は、お腹からバッシャーン行きます。



▲ちなみにこっちの子は、正しい飛び込み方。



▲沖のむこうに龍宮城が…
(なんでも昔は舟で行けて、乙姫様がいて、一杯やれたとか?<要確認)



▲かっこいい展示。


 そして、平家の落人のかくれ里、田久日(たくひ)にも、連れて行っていただきました。
 時間があったら、あちこち散策したかったなぁ〜〜〜。
 決してご近所迷惑はおかけいたしませんので〜。









 さて!
 豊岡といえばこのおっさんです。


▲玄武岩の玄さん。
(2019赤穂義士祭より。内臓はハマダさん)

 このおっさんが物語るとおり、豊岡名物には、玄武岩採掘跡が見事な芸術品のようになった洞窟、玄武洞がございます。
 いやもう、ほれぼれ。





▲岩に、紅葉が…


 いっしょに玄武洞公園にはミュージアムがございまして、もう、これでもかと、石がございますが、
 で!見つけたぞぉ!
 いたぞーーーーっ!きらら!



▲吉良上野介ゆかりの、雲母ちゃんがいましたよぉ。


 さて!
 以上のようなわけで、豊岡観光案内でございました。

 た〜っぷりと、歴史と自然に恵まれた豊岡を満喫!
 こんどはまたゆっくり遊びに来たいと思います!
 拝むお墓間違えたし。

 ハマダさん、ご案内を本当にありがとうございました!あたしゃ豊岡への執着が倍々増!
 瀬戸谷家のみなさまにも、こんなわけのわからない人間に優しくしてくださいまして大感謝。タダシさん、お付き合い下さり感謝です。
 マエカワさん、またやりましょうね〜!
 後輩Aよ!お礼に一席設けますぞ。



1.養源寺 2.正福寺 3.大石りく生誕の地
4.神武山公園 5.平田オリザさんの大学
6.吉之進のお墓 7.りくのご両親のお墓
8.コウノトリの郷 9.カバンストリート




それではみなさん
ごきげんよう〜〜



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小説「怪異談 忠臣蔵」ギャラリー


小説「怪異談忠臣蔵」の、挿絵ギャラリーでございます。

ゾンビの忠臣蔵。
おぞましい感じにて失礼をいたします。


小説「怪異談 忠臣蔵」01(2019.10.06 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」02(2019.10.12 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」03(2019.10.19 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」04(2019.10.26 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」05(2019.11.03 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」06(2019.11.09 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」07(2019.11.16 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」08(2019.11.23 upload)-01

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小説「怪異談 忠臣蔵」09(2019.11.29 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」10(2019.12.07 upload)



小説「怪異談 忠臣蔵」11(2019.12.14 upload)



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小説「怪異談 忠臣蔵」18(2020.01.31upload)



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小説「怪異談 忠臣蔵」20(2020.02.15 upload)-1

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小説「怪異談 忠臣蔵」21(2020.02.22 upload)-1

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小説「怪異談 忠臣蔵」22(2020.02.229 upload)

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小説「怪異談 忠臣蔵」22

小説

怪異談 忠臣蔵

〜ゾンビが出てくるやつ〜
(連載 最終回)
 

 

この作品はフィクションです。文中に出てくる名称と、実在の個人名、団体名とは一切関係がありません。

本編には、暴力的なシーンが含まれてございます。
また、たいそう昔の設定なので、現代では不適切と思われる表現が含まれることもございます。
あらかじめご了承の上、ご覧くださいませ。 

※文中の「のろま」とは、ゾンビのことでございます。
 

 

++++++++++++++++++++


 

 

 見事本懐を遂げた赤穂浅野の浪士たちは、内匠頭の墓前に首級を供えると、揃って愛宕下の大目付宅へ自首をした。

 報告を聞いた老中方一同は、そもそも先の赤穂浅野の処分を残酷と思っていたから、同情をもって評定に及ぶ。

 まずは義党四十六人を四組に分けて、沙汰があるまで、大名屋敷にお預けとした。

(討ち入った四十七士のうち、一名が大石内蔵助の命によって、党中を離れて使者の役目に立っている。)

 

 安兵衛は三田の伊予松山藩・松平隠岐守定直侯の中屋敷に、大石主税ら仲間九名と預けられた。

 ちなみに、義理ある父親の弥兵衛は、内蔵助とともに肥後熊本の城主・細川越中守綱利の、高輪にある下屋敷に預けられている。

 親子兄弟の浪士たちは、分けられたのである。

 

 罪人であるにもかかわらず、松平家のものは安兵衛たちを歓待した。

「いやはや、忠義無類の面々を預かるというのは、名誉である」

 はじめに落ち着いた愛宕の上屋敷から、安全のために三田の中屋敷に移る際は、上杉家の襲撃に備え、仰々しい警護のもとに、浪士十名、駕籠にて丁重に移動させたものだった。

 立派な二間続きの広間に置かれ、膳部もごちそうが出て、安兵衛たちはいささか違和感を感じていた。

 大石主税が風邪を引いた際も、松平家では医師よ薬よと勧めたが

「我々はいずれ天下の御法によって、泉下に赴きまする身の上。ご無用に願います」

 と応じない。

 安兵衛はこれを聴いて

「主税殿。病をお治しになってから、死を賜るのが、肝要かと」

 と助言。

「なるほど。切腹を嫌うて病死するようで、卑怯未練というものか」

 と、服薬を所望する。

 こうしたやりとりを、いちいち係の者が

「さすが器量人…」

 などと感服するのが、安兵衛には体中がこそばゆくなるようで仕方がなかった。

「これも天命」

 のろま百人を相手にしても、びくともしないこの男が、楽々とした毎日において強く自分に言い聞かせるという皮肉な始末。

 いつか懐に入れて気を紛らわしていた、あの三毛猫が恋しくなっていた。

 

 幕府においては赤穂浪士の処分について、議論百出して容易に決まらなかったが、ようやく明くる年二月に、預けられていた諸大名の屋敷内にて「全員切腹」と決まった。

 

 忠義一筋に駆け抜けてきた、堀部安兵衛の心中はまことに光風霽月。

 当日、切腹の座に直ると、介錯人を振り返り

「ご介錯、ご苦労千万。冥土の土産に貴殿のご姓名をうかがいたい」

 まさか、介錯しようという相手から話しかけられるとは思っても見なかった介錯人は、いささかうろたえた。

 安兵衛の介錯を担当することを名誉に思っていて、ただでさえ舞い上がっていたので、なんとか心を落ち着かせようと心がけていたところだったのだ。

「それがし、伊予松山藩徒目付、荒川十太夫と主しまする。此度は有難き幸せ。大切に相務めまする。…堀部様のご高名は末代までも生き続けることでしょう」

「死んでも生き続ける、か。フフフ。されば、のろまになって戻って来んように、いざご介錯、よろしくお頼み申す」

 と、慇懃に挨拶をすると、ニッコリ笑って背を向ける。

 恐ろしいほど豪胆で、最後まで常に変わらぬ漢であった。

 

 辞世を「梓弓(あずさゆみ) ためしにも引け 武士(もののふ)の 道は迷わぬ 跡と思はば」

 と詠んで、悠々と刃(やいば)を受けた。

 享年 三十四歳。

 

 

 

 

 十六 大詰

 

 幕府は吉良邸の検按で、被害状況に併せて邸内にのろまがいないことをたしかめると、そのまま吉良家を断絶した。

 世間の浅野びいきにおもねて、将軍は四十六士に同情を宣明。

 処置を名誉ある切腹として、前年の片落ちの裁定から世間の目を背けさせ、スッカリとていよく後始末を済ませたのである。

 

 陰謀があったと一学が悔やんだ上杉家の、藩主・綱憲は、討ち入りの翌々年に死去。四十二歳であった。

 その母、すなわち上杉家から出た上野介夫人・富子は、討ち入りのある以前に呉服橋の吉良邸を出て、白金の上杉邸で実母や娘と暮らしていたが、実子・綱憲と「同じ年」の夏に死去。

 綱憲の実子で、吉良上野介の養子に迎えられた吉良義周は、後に幕府から「応戦の仕方が不届き」として、傷を負って闘ったにも関わらず領地召し上げの上、諏訪へ流罪となった。

 幽閉を命ぜられた先で四年後、二十一歳の若い生涯を終えている。

 吉良上野介関わりの人物が、討入事件のあとで、次々にこの世を去ったことは、なにかと世間のウワサとなったが、深い詮索は行われなかった。

  

 かくして、こののろま騒動も、大物主神の御心から疫が起こったのだ。…と民衆は信じ、神の怒りが収まったから、事態も鎮静した。と、受け入れた。

 幕府はろくな実態調査も行わず、世にも恐ろしいこの事件の記録は見えなくなり、やがて打ち忘れられてしまう。

 

 サテ、これには、真相があると、諸書が言う怪説がある…。

 実は、将軍その人こそが、小藩取り潰し政策に、まんまと呪術を利用した張本人とする説である。

 祈祷が、のろまの思わぬ大きな効果を出してしまい、それを目の当たりにした将軍自体が、恐ろしくなって、粟を食って臭いものに蓋をしたという説…。

 祟られているとされた将軍家こそが、実は騒動の遠因だったというのである。

 

 呪いの後始末でも悪かったのか、討ち入りのそのあとも、綱吉政権下では、京都の大火や、二度に渡る各地の大地震が度重なり、浅間山や、富士山まで噴火し、散々に政道が脅かされた。

 

 果たして将軍綱吉は祟られたのか、呪ったのか?

  

 大衆は、すべてをなげうって忠義の念を貫いた、赤穂浅野の武士たちの辛苦を同情し、勇気をたたえ、四十六人を「赤穂義士」と言って、もてはやした。

 劇作家たちはこぞって、一連の事件を題材に人形浄瑠璃や芝居にしようとしたが、幕府はそれを「幕政批判」という理由で、ことごとく上演を御指留め、それを徹底した。

 公儀の目を盗むように作家の手から手へ、事件の内容を変えにかえ、もじりにもじって、めでたく千秋楽までやっと漕ぎ着けることが出来た作品は、人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」と言った。

 将軍の代も変わった、事件から四十七年も後のことである。

 

 

〜おしまい〜

 

 

 

●<小説「怪異談 忠臣蔵」21はこちら

 

 

◯< いっとう最初はこちら。

 

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〜解説〜

 

 空前のパロディ小説。

 

 「死んでも生き続ける」という落とし噺は、このブログに連載を始めてから、あとで思いついたコジツケでございました。

 

 そもそも

 この「ゾンビ忠臣蔵」は、かつて後輩何人かから(通算3組ぐらいから別口で)

 「ゾンビの忠臣蔵なんて面白いじゃないですか。両方お好きなら、やれば。」

 と、軽く言われて

 「はあ?四十七士はこの世に未練なんか無いのだ。ゾンビになって醜態を晒すようなことが彼らにあるものかっ」

 と、一蹴してたんですが、あるとき

 「いや待てよ。吉良がゾンビならこりゃ、アリかな!?」と盛り上がり、このたび書くにいたった次第。

 吉良=ゾンビ。だからみんなで殺そうとする。

 これだけのポイントにウキウキして、デタラメをふくらませた次第。

 ただ、生理的に始めてしまいましたが、ゾンビはもう、こすられすぎてるんですよね。

 

 ゾンビノンケの皆様方にはさぞかし苦痛(読んでくださっていたとしたら、です)だったことと存じます。(笑)


 で、終わってみると、デタラメを作る初体験で、「ゾンビ」と「忠臣蔵」という突拍子もなく遠い二者を、意外にも、あることないこと、アレコレとつじつまを合わせるのが楽しかったです。

 

 で、上記アイデアとは別に、もっと下品にゾンビを出しゃあよかったなと。意味もなくアチコチに。しょっちゅう。

「忠臣蔵(義士伝)ならこうでなくっちゃ」「ゾンビはそうこなくっちゃ」…を、優先させると、結局どちらも控えめになる。

 両者の世界観を壊さないように気を使ったら、こんなになっちゃった。
 メインカルチャーとサブカルチャーの融合の難しさを痛感いたしました。

 清水一学を主人公にして、内部を探偵するミステリーに重点を置いてもおもしろかったかなー。

 いや、赤穂側の、毛利小平太あたりが、不透明な部分に探りを入れまくって真相に近づいたところで殺されちゃうのも悪くない。

 だから、スピン・オフ、やろうっかな〜。

 ホリの腕っ節や、少年剣士たちの活躍とか、おもしろそうな。

 みなしごの正太郎が強くなるいきさつなんて漫画っぽくて興奮する。

 他の少年&少女剣士とともに、ゾンビ相手に強くなる。それは漫画っぽいなと思ったが、…どんどん「鬼滅」っぽくなるから、よしましょう。

 忠臣蔵人気がいま一つ盛り上がらないいろんな理由のひとつに、四十七士に「もう仕上がっちゃってる感」があることが少なくない。
 ひとは成長ストーリーを好みますからねー。
 だから、この「怪異談 忠臣蔵」ったら、ちっとも浪士が危機に陥らない。このお話の弱点かなと。

 

 挿絵ギャラリーを次回にでも披露させていただこうと思います。

 

 

 

 ご愛読をいただき、ありがとうございました!

 


もりい

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