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いばらき忠臣蔵(2)

 

忠臣蔵ビギナーの皆さんのドアボーイ・もりいくすおがお送りする「ゆかりの地」散歩・茨城編。
後編をお届けいたします。

 

実は「忠臣蔵」にゆかりのある茨城県。
ドライブシリーズ後編は笠間にやってまいりました。
(最後に水戸も寄ります)


お父さん浅野長政がおさめていた茨城県・真壁を継いだ三男坊・浅野長重さんは(広島のご本家は長男さんが継いでる。)、大坂の陣で活躍を認められて加増。笠間の藩主となります…。

 


真壁を後にしたあたしたちは三左衛門さんの運転で笠間へ。お昼ごはんは笠間で予定しております。

 

 

 

 

ところで3人でドライブ行くときの、助手席と後部座席ってアレ、どういう人がどう座るのがいいんですかな。
前に高校時代の友だちのクシマに自動車乗せてもらった時に、あたしと森井ユカがふたりで後ろに座ってたら「なんだかおかかえ運転手みたいな気分だな」と言ってたので、なるほど失敬。「3人でドライブ」という感じが出ませんな。
あたしゃ実は後部座席がゆったりしてるんで好きなんです。日当たりから自由に逃げられるし(日焼けするそばから顔にシミが発生する)
だからてっきりみんな、後部座席が好きなのかと思って、以前に日光江戸村とか行った時にAさんをうしろにうながしたんですが、こないだ吉良町をご一緒したときAさんは「前、いい?悪いねつって、助手席がお好きなご様子でした。
「そっかぁ。ひとによるのだなあ」
後部座席のウイークポイントを想像すると孤独感を感じる人もいるのかも。こんどAさんに聞いてみようかな。
というわけで、特に希望のなかった女子のとわさんには道中、助手席に座っていただいてます。

 


さて

そんなことはともかくw、でかけた11月の笠間はちょうど菊まつり。
も「忠臣蔵の菊人形とか、あるかなあ」
と「毎年、菊人形はNHK大河ドラマが題材になってますね」
なるほどねえ。
んまぁ、そらしょうがないわなtehe
で、車内の3人は放送中の「おんな城主 直虎」をほとんど見ていなーい

 

お祭りがあるとなると、なんだかいろんな美味しいものにありつけそうな期待がふくらみまする。

 

さんぽの計画としてはまず、笠間に到着したらお金のかかるお参道の駐車場は避けて、笠間城(つか下屋敷か)周辺に無料で駐められるところを探し、徒歩でお稲荷さんなど回ろうということに。

 

 

 

 

というわけで

駐車も兼ねる「笠間藩下屋敷跡」とうちゃく〜(地図1)。

お城自体は1200年台にこの地の笠間の殿さまが建てて、380年後に笠間がほろびて殿さまがいろいろ変わるんですが、1600年代にわれらが浅野長重が藩主について、政務のつごうで本丸じゃなくここに下屋敷を建てて落ち着いてたそうです。

 

 

 

 

大石内蔵助のひいおじいちゃん良勝(よしかつ)がこの笠間城主・浅野長重のご家老になるんですが、浅野と大石の関係はここからスタートするんですね?
代々の主従なのですねえ。それを考えると、やっぱ討ち入るわなぁという想いがいたします。

うん。なかなかルーツをたどる旅ですな。

 

 


▲そういうわけで大石内蔵助像。
 でも、同じ
内蔵助と言う名でもご家老の良勝
 やしゃご?である忠臣蔵の
良雄(よしたか)

 

でまぁ〜
こちら下屋敷跡はのイチョウがもう、良い黄色になってましてねーっ。
ひろびろした敷地内に観光客の姿も殆ど無く、隣接する小さな公園でおじさんがひとりで稽古してる津軽三味線の音色が遠く聴こえてて、たいへん気分が良い。
ギンナン踏まないように気をつけながら坂を降りてお稲荷さん(菊まつり)方面へ向かいます。

(ちなみに、前回と今回の茨城旅はこの10年でもっともドングリを見た日となりました。こちらもだったんですが特に勝田家の墓はドングリじゅうたんでした。)

 

 

 

 

で!
下屋敷御殿のすぐ下に、あるんですなあ。

大石邸跡が。下・指さし(地図2

 

 


良勝と、その息子の良欽(よしたか)が住んでた。

 

 

山道を参りますと、特にテキ屋さんが露天を展開してるわけでもなく、ご当地のお店が通りかかるお客さんに声をかけております。
うちの地元の祭もそうですが最近はテキ屋さんの出る幕が少なくなりましたな。
(後述のお稲荷様には唐辛子売や野菜、焼き物=笠間焼などの露天がでている)

 

 


▲参道。この先、右がお稲荷様。

 

 

昼時分のせいか食べ物やさんに目が行くんですが、おまんじゅう屋さんがちらほら。
くるみまんじゅう、ですって!
(むかし、ここいらは胡桃の密林があったそうです)

 

で、おいなりさんですよね!やっぱし!

油揚げメシ(<この言い方気に入ってる最近)
ごはんのあと、おやつで帰りに買って帰りましょう。
蕎麦屋もよく目につくんですが、どこ入る?三左衛門さん。

三「せっかくだから忠臣蔵ゆかりということで
  笠間義士会御用達のお店に参りましょう」

んあ〜。そういうところがあるんですね。
しかし日本各地に「義士会」があるんですなあ。

三左衛門さんが一度行ったことがあるというその店は、目的地の笠間稲荷神社さんをいったん通りすぎて参ります。

13時頃になってましたかな。
そのお店=つたやさんに入るとお客さんはみっちりでしたが、すぐに席に案内してもらえました。

 

 


▲を〜たしかに看板が!
 「笠間義士会そば講處」とあります。
 …で、どういったゆかりなん?

 

 

すでにいくつかの人気メニューはソールドアウト。
あたしと三左衛門さんは鴨南蛮食べたんですが(なっかなか出てこなかった<個人の感想です。、とわさんがきつねそばをたのんで、
だよなあっ!と反省。
うっかり鴨たのんじゃったけど(アヒルだそうですな)、お稲荷様お参りに来たらきつねを食えよ!俺!

 

あと、最後まで迷ったのが「そばいなりずし」
食べりゃあよかった。(ちょっと値が張った)

 

なんかね、この3人組で居ると、史跡以外にガツガツしてないんですよね。
お墓を見るときは顔にクモの巣がへばりつこうがクツが泥だらけになろうが粗悪な道路だろうが他人に怒られようがガツガツ行くんですが、そばいなりずしは食べない。
笑っちゃう。

 

さっ
腹もできたし、来た道もどって神社散策!

 

 

 


▲通称:「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)

 (地図3
 日本三大稲荷神社なんですから。

 

はぁもう、境内はそこかしこに菊が飾ってあってかわいいです。
季節ごとの花を楽しむという日本人の習慣、ほんとかわいい。

 

いつもやってるのか今年の特別なのか、「假屋崎省吾の世界展」なるもよおしもやってます。
入場料1000円。
菊人形展は800円ですが、假屋崎先生のチケットを買えば1000円で両方が見られるお得券。
…ということがどれほどギャラリーに伝わっていただろう。
假屋崎先生に1000円。菊人形にさらに800円かかると、あたしも勘違いしてましたもん。
いや〜一般のかたがたが愛でた菊がそこら中に無料で飾られているのにどうして1800円もあらためて払えようか?と。

ともあれ花にガツガツしてない3人は、境内のそこかしこに「入選」とかぶら下げて飾ってあるたくさんの菊に、じゅうぶんお腹いっぱいになってましたので、すいません、假屋崎先生と直虎菊人形は見ませんでした。

假屋崎先生の券で菊人形も見られることをハッピ姿のスタッフさんが会場の前で声を張り上げて案内しておられました。。
イベントのむずかしさをいろいろ考えさせられました。


浅野家下屋敷の駐車場に戻る道すがら、とわさんが

「正月は人で溢れてる」

という「くるみ稲荷ずし 二ツ木」さんへ。
あたしがオーダーしている間、三左衛門さんがとなり(ほんとは民芸品屋が一個はさまる)の「胡桃饅頭 吉田屋」さんへ。
良い連携だ!
おやつだいすき!

 

 


▲街がお花だらけhato 奥の赤い看板がお饅頭。

 


▲この日は先客が一組だけで人は溢れていなかったBLIGHT

 

が、

くるみ稲荷すしが待てど暮らせど出てこない
お客があたしだけでこれだけ待たされればそらぁ客であふれるわ。なんて、ごめんなさい(笑)。
こうまで待ってでも食べたい胡桃すしとは!?
(それとも、この時だけだったのかな?<待ち時間)

 

駐車場に戻っていお稲荷さんをただきますと、酢の控えめなシャリにいい意味でバサッとした感じの油揚げはいい甘さ。ここに胡桃のクランチーな感じと風味がほどよく混ざっててなんとも美味であります。
これはガツガツいただきたかったかな!
7つ入りパッケージをなかよく分けました。

 



▲くるみいなり(左)7個750円

 

くるみまんじゅうも控えめな甘さに胡桃の…て、あれですな!ナッツってなかなか有用ですな。
なんか、イレギュラーな美味しさが到来しますわ。


さて
忠臣蔵ドライブはここで終わり。


とわさんを送って我々も帰るかと思いきや、なぜか三左衛門さんが水戸にホテルを取ってたので一泊なんですな。
運転ありがとうございました!おつかれさまでした!
の乾杯はやっぱりやりたいですが、けっこう贅沢なスケジュール。

 

 


▲三「東へ東へ来たんですなあ」

 

三「あしたはどうしますか」
も「ちょっと放ってきた仕事があるんで」(と野暮な回答)
三「じゃあすぐに東京に」

 

夜はホテルの眼の前にある「はなの夢」なる居酒屋さんでおつかれさん会。

 

 

呑んでたら、やっぱ、せっかく水戸なんだから、水戸黄門に触れて帰りましょうや!
ということに。
BLIGHTお酒って、いいですなBLIGHT

 

 

一夜明けて

それぞれ個室だった二人は申し合わせたように朝6時半にレストランで「おはよう」
人生で好きなものベスト10に入る「宿泊施設の朝食」(どこのでも好き)をいただいてたら泊まり客はライダーばかり。
なんでも茂木でレースがあるとかで人が集まっており、現地で宿が取れなかった人達が水戸まで流れてきているという。
目の前に、もうそのままレース会場に出られる場違いなコスチュームで、化粧までがっつり決めたレースクインがふたり、ジャンバーだけ羽織って朝食をとっており、それが背後のことでなにも気づかない三左衛門さんのハナシを終始うわの空で聞いていたわたしは、彼に教えてあげてうしろを振り返らせる友情を取るか、他人の目を気にせず彼女たちに朝食を楽しんでもらうジェントルマンシップを取るかで…あんまり悩まず三左衛門さんにはなにも言わなかった(笑)。

 

 


▲ごはんにソーセージは鉄板

 

そてし!
いや、そしてまた三左衛門さんに運転を甘えて午前8時半頃
(出立は8時頃でした)
水戸黄門を祀っている常磐神社に到着!

…早すぎて店も宝物館も開いてない(笑)。

 

 

 


▲水戸光圀をアイコンとした楽しいアプローチは正しく、楽しい。

 

水戸光圀は忠臣蔵時代の登場人物でもございまして、赤穂事件の前に徳川綱吉の悪政を批判するような立場でドラマに登場することもございます。(お隠れになるのが赤穂事件の前年)

また助さん&角さんのユニットで有名な角さんのモデルとなった安積覚兵衛は大石無人の長男・良麿から忠義碑のライターを頼まれて断ってるとか、内蔵助のおばあさんが水戸藩でお勤めしてたなどなどのかかわり合いがなにかとあるようでございます。
(ですか?)

ていうか、前日わかれたとわさんが水戸黄門も大好きだから、来ると決まってたらお誘いして熱いところを語っていただきたかったものですわい。
そこは今後、バトンを譲るとしてここでは、とにかく神社に隣接する偕楽園(かいらくえん)が広々して素敵で、7代藩主の徳川斉昭(なりあき)が建てて一般に開放したりした(ですか?)別邸(好文亭)がなかなかようございました。

ああ、殿さまもこの景色をご覧になってたのだなあと。

 

 

 

 

 


墓だ祠だと興奮していましたが、
・・秋だったんですね。

 

 

 

 

中がどうだったとか、景色がどうだったとかはもう、皆さんお出かけください。
こんなちっぽけなフレームにはおさまりません。

そんなわけで明るいうちに東京に戻った私たちでございました。

(2017.1011〜12)
 

 

              ふたつともえ

 

 

水戸の水戸藩主推しは観光の材料として一点勝負でブレがなく、「ここに来なきゃ他に無い」感が良かった。
赤穂義士と言いながら、墓が江戸なんだから、わたやの社長「骨を返せ!」wと迫るのもなんとなくわかる気がする。
やすさんが新潟県・新発田に分骨されるのが許されるので、ことによると全員里帰りなんてことが!?

 

 

<余談備忘録>
東京に到着後、駐車場でゆっくり転んで
「この程度のスピードで倒れるならたかが知れとるわい」
と倒れ込みながらアクシデントをバカにしてたら、肩からぶら下げた一眼レフの上に倒れてしまい、わき腹をしたたか打ってもう、呼吸が止まるかという痛みに見舞われました。
送ってくださった三左衛門さんが心配してくれましたが、やせ我慢をしましたとさ。

 

 

| もりいくすお | - | comments(6) | trackbacks(0) |
いばらき忠臣蔵(1)

浅野長政

浅野内匠頭長矩ながのり)のひぃひぃおじいちゃん?
もともと秀吉のブレーンだったが、秀吉の死後は関が原の戦いで徳川側に立って活躍し、徳川家と仲良くなる。

忠臣蔵物語の素=赤穂事件よりさかのぼること95年ぐらい前…
長政はからいろいろ功績を讃えられて、徳川秀忠時代に茨城県は真壁を与えられ、領主となります。

長政が死んだあとは息子(三男)の長重が引き継ぎました。
で、いろいろあってのちのち兵庫県の播州赤穂に引っ越すのですがそれはのちほど。



そうなんです。

赤穂浅野は、その昔、

茨城県の殿さまだったのですね。

そんな真壁に行ってまいりました〜!
(そのあと笠間、水戸に回ります)







今回のおでかけは、いろいろくわしい先生・三左衛門さんと、
先日一緒に谷中散歩をした、とわさん。
とわさんは茨城県にくわしいところにお住いなのでお二方のお話が聞けます。


時はまさに11月11日!サムライの日!
(十と一で、士になるから)
朝、もりいは8時に山手線・大塚駅前で自宅から用意してくださった三左衛門さんの車に乗車。東京からスタート。
約2時間でJR水戸線・岩瀬駅でとわさんをピックアップ。
まもなく真壁に到着しました!

まずわ!

四十七士の、勝田新左衛門さんの供養塔(&勝田家の墓)を見に参ります。


実は勝田家、こっちの土地の一族だったそうでして、もともとのここの領主・真壁氏の配下だったそうですが分家して、のちの笠間藩主・浅野家に仕えたのが四十七士・勝田新左衛門のおじいちゃま。(笠間は次回)

三「こっちこっち!」

なんにもない山の中腹で車を止め、つづくとわさんも

と「わたし前に来たとき、わからなかったんですよ!」

えっ!?ここへ?
とわさんは学生時代にまったく歴史ノンケの友人3人を連れてここまで来たそうで、この人、ホンモノだなと。
ともだちはキョトーーーンとしてたそうで、さもあろうなと(笑)。



▲だってこんなところを行くんですよ!
女学生が遊びに来るところじゃなくね?(笑)


▲天気だけはめちゃくちゃいいんですが・・


▲ていうか、ぜんぜん墓場じゃないじゃないですかase2


へんなの!と思ってたら実はこれ、お寺が奥(上)の方にあるんだそうです。
我々は逆に裏から入ってるんでこんな感じなのである。
(<楽法寺さん。通称雨引観音。境内かというと微妙)



▲フと右を向くと階段がございます。
つくづく雨じゃなくてよかった。。。



▲勝田家のお墓。
ごめんくださいまし。
 …どれでしょう?とわさんがわからないのも無理がない。


じゃーん


▲こちら。勝田新左衛門さんのご墓標。

周囲の老木から折れ枝が降り注ぎ、雑然としております。
テグスかと思わんばかりのしっかりしたクモの巣が顔にへばり付く。

墓石と墓石に隠れるようにある、シュッとした板碑(いたび)スタイル。
新左衛門の家が赤穂についていっちゃったので、この地元に残った勝田本家が討ち入りのあとで一族の墓地にこの新左衛門の供養塔を建てたそうです。



三「つぎですが、勝田神社があるんです」
く「おねがいします!」
そっちはとわさんも行ったことがないとか。
手を合わせて墓地をあとにします。




▲霊峰・加波山(かばさん)をあがる。

みちすがら、この車を見かけた地元の人はきっと
「どこにいくんだろう??」
と、思ったに違いない。
だって八王子ナンバーが石の採掘場へつながるヘンな狭いガタガタ道を行くんだもん。
ときどき道端に、輸送中に落とされたと思しき巨石もある。
譲り合いながらすれ違うのはダンプだけ。
うねうね波打つ地べたは亀の甲羅のようにひび割れていて、ところどころめくれて土が見えている。
「アスファルトって舗装しないとこうなるんだあ」
と、わたしは変なことを感心。

左右上下に揺られながら
三「新左衛門が武芸の上達を祈念して建てた石の祠(ほこら)があるんです」


で、とうちゃく〜!



▲とうちゃく??


この、分かれ道の丘の上にあるという。。。
草ぼうぼうに生い茂ってるが、この丘、石垣だそうです。



▲またこんなところを・・・



しかし無い。





「たしかにここにあったんですよ!」


石塔の立ち並ぶ中で、台だけ取り残された瓦礫を指さして三左衛門さんは興奮気味に言い、立ち尽くす。


三「これ、もしかしたら…、
地震でうしろに落っこっちゃったくさい!」





ふたたび道路に出て茂みをかき分け、覗きこむ一行。





▲崩れた石垣は確認できるが
それらしき祠っぽいもののパーツは見つけられない…。


かつて東日本大震災は茨城にもたいへんな被害を及ぼした。
地割れやら土砂崩れ、停電断水、線路が曲がっちゃったりの前に、わたしの体験した東京の被害はおよばない。


ここで
在りし日の石祠の画像をご覧頂きましょう。



▲平成18年に撮影されたもの。
 
ま、落っこちたのか、石垣が心細い状態で危ないってんで解体したのか…
ともかく、ざんねんです・・・

気を取り直して、ほど近い真壁城の跡へ。





三「(カーナビを見ながら)国指定の史跡なのに真壁城跡が載ってない!」



▲しろあと。




もともとここいらを取り仕切っていた真壁氏が引っ越して(移封)、20年くらいして浅野家が入ってるんで、荒れてる城よりも、近くの陣屋(ここでは役所のこと)に浅野家は居たとも言われているそうです。



▲陣屋跡はいま歴史民俗資料館。


民俗資料館で、遺跡や宝物を見たあと表に出ると、敷地内は資料館の他にもホールなどいろいろ施設があった。
図書館から飛び出してきたテンションの高い幼稚園児になぜかキャッキャと砂利をぶつけられながら、こんどは真壁最後の目的地
「どっこい真壁の伝正寺」
に、向かうため車に乗り込みます。

そこには浅野長政夫妻の霊廟がございます菩提寺。
お墓、赤穂義士人形もあるという。





▲ところが到着してみると…
 「立入禁止」の立て札があちこちに…


どうやら、こちらも地震による被害があり、
修復工事をしているようだ。

しかしなんですな。
たくさん並べられた「立入禁止」ほど雄弁で威圧感のあるものはありません。
なんとなく苛立ちの匂いすら、感じる。

それでも「はなせばわかる」と信じこんでるもりいはどんどん行こうとする。
「奥へ行くなら一応、仁義を切りましょう」
いかにも三左衛門さん、それは正しいと思います。

だだ広い敷地に建つ、やっと修復が終わったといったかんじの真新しい屋根のご本殿の横にあるプレハブに「寺務所」のはりがみ。
そこを目指して進んでいくと、到達のずっと前でプレハブの引き戸がガラッと開き、中から出てきた作務衣姿の男性が一直線にこっちに向かって歩いてくる。(たぶんご住職)(すまけい似)。
早くから我々の接近をとらえていたようであります。

うむ。やっぱり気まずい・・!
気まずさをごまかすように近づきながらこちらから先に声をかけた。

も「浅野長政夫妻のお墓参りをしたいのですが…」

それに存外冷静に対応してくれる御仁

◯「地震で廟はゆがみ、危険だし、
そんな状態は長政さんも嫌だろうから…」


ここで、こちらに反論の意思がないことを伝えようとあせった三左衛門さんがややかぶせ気味に

三「見るに忍びないということですね」

そう言うと、じゃっかん住職の顔色が変わったように見えた。

◯「…そもそも"お墓を見る"という行為自体が間違ってると思うんですが」

なむさん、言葉選びを間違えた。
(そもそもこの感じではどう言っても入れる見込みは無さそうだが)

いやはやごもっとも。
遠巻きに私たちの様子をうかがってた、別の4〜5にんの老齢の見学者もともにすごすごときびすを返す…


失礼をいたしました。


かつては茶屋もあり庭園も豊かだったという、有名な伝正寺。

地震がなにもかもを奪っていってしまった…
そんな感想の真壁を、われわれはあとにいたします。



しっかし
とわさんとは、お散歩は2回しかごいっしょしてませんが
こないだは書道博物館で別の客からうるさいと怒られるし、今回は寺で門前払いを食うし、「こいつらイイ年をして一体なんなんだ?」と愛想を尽かされやしないか(笑)。



ふたつともえ



お父さん・長政から真壁を引き継いだ三男坊・浅野長重は大坂の役(大阪夏の陣)に活躍し、赤穂事件よりさかのぼること79年ぐらい前に、笠間に転出をします。


BLIGHT次回は笠間を訪れますBLIGHT

 

 

▲イノシシは真壁家のシンボルマーク。(旗指し物の印)
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大江戸ワハハ本舗・娯楽座さん


11月29日から12月3日までドンちゃんと楽しくミュージカルする忠臣蔵!
ポカスカジャン&大江戸ワハハ本舗・娯楽座合同公演
ミュージカル「忠-SING-蔵」
29日の前夜祭にはもりいも登壇して

なんと主宰の喰始さんと進行をやる!
(たぶんTBS落語研究会の榎本滋民orお江戸でござるの杉浦日向子のポジション)

お誘い合わせの上、どしどしご参加を!
http://wahahahompo.co.jp/stage/koen/psj-grkz/191129_chushingura/index.html




▲絵はもりい



さて!
そんなバカバカしいエネルギーが噴火している娯楽座「歴史同好会」のみなさんと先日、泉岳寺から両国吉良邸まで逆流さんぽいたしました!
その顛末がつぶさに、参加者(忠臣蔵ラブ)の雨宮あさひさんのブログにございましたので、ここにご紹介!

ともかく、途中築地でもりいが狼狽しております。



「忠臣蔵さんぽ」



「その1」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12322963334.html

「その2」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12323736390.html



そてし!いや、そして!
出来上がったチラシをゆかりの地で配ったスピン・オフもお楽しみください。

討ち入り装束でお参りしたのは初たいけーん!
ハロウィーンだったので通報されませんでした。



「ハロウィンづいてる」



「その1」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12324437766.html

「その2」
https://ameblo.jp/ame-ame-asahi/entry-12324437947.html



BLIGHTどっとはらいBLIGHT



 

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とよおか忠臣蔵(2)

とよおか忠臣蔵(2)


土地にも歴史にも詳しくない忠臣蔵紀行。
大石りくさんのふるさと
「兵庫県 豊岡(とよおか)」後編です。
(とよおか忠臣蔵(1)はこちら。)


大石りくさんの遺髪塚を訪ねたあと、川沿いを南に下りまして、生誕の地へ。

なんだかこの時の気分が良かったなあ。
土手の道。
霧雨がぱらついてるんですけど、広々して、空気が良いような気がいたしました。

地べたを這いずるかたつむりを避けながら
土手をせっせ、せっせと歩きましてやっとこさ陸橋に到着。
渡りまして目指すはりくさん生誕地。







街に出ると途中、すれ違う男性に
「ジャンパーひきずってますよ」と教えてもらって
「ありがとうございます(汗)」
肌寒いかなと見込んで持ってきたユニクロのウルトラライトダウンは、歩いてるのがよほど運動になってるのか汗ばんでるあたしには持ってても手が暑いくらいなんで、それでカバンのひもにかけておくんですが、この前もあとも何度も濡れた路面にずり落ちた次第。
買ったばかりで折り目がついてるので結んでクシャクシャにしたくない。でも、水たまりには落としてる(笑)。
みなさんはシワと濡れるのと、どっちがアリですか?





途中。
ああ。割烹「理玖(りく)」だって。
いいなあ。ここで接待されたいなあ。




さて、生誕地。
おじいちゃまのお墓に行った時とは打って変わって、スムーズに到着。


「ゆかりの地」にはのぼりが立ってるんでほんと見逃さなくて嬉しい。





▲大石陸女生誕之地


忠臣蔵でいう「但馬のさとに帰る」というのは、
ここに帰ってくる、だったわけですね。





さて!これにて予定はひととおり回れました!

これからあの汽車の中から見た看板を探しに行きます。
(パート1参照。事前にチェックしてなかった
 車窓からたまたま目撃した墓所)
てがかりは「線路沿い」。


適当に線路を目指して進んでまいりますと目の前に図書館が。





こちらはりくさんのお父さんがお勤めになってた豊岡藩の陣屋のあとだそうで。

あっそういえば、りくさんと大三郎くんの直筆の書状がどこかで急遽公開になってるって言ってた!
のぼりが立ってるところを見るとひょっとして図書館で展示してたりするのじゃないかしら。
そうしたらなんて間がいいんでしょう。

しかし
館内をのぞいてみてもそういう気配はなし…
おまつりのチラシやポスターもない…

んま、とにかく展示はココではないと。
(お祭りのチラシ、ここに置いてなかったが、のちにホテルにも無いことがわかった。実行委員の方のメールでは各戸に投函するって言ってたけれど…)


線路沿いに出て歩き出します。
とぼとぼ歩いて
そーだなぁ。300メートルも歩きましたですかなぁ…







をぉ!?
あれだな!
のぼりがでてる!





そうそう車窓から見えたの、これこれ!



▲この階段を上るんですね!?



▲で、ええっと、あ、こっちですね。



▲さらに・・・・・。



▲あ、あちらで。





ん〜

なんだかこれじゃちょっとさみしくないですか吉之進さん。
修行僧だったからへいちゃらかな。

んまぁ…

ん!?



▲丸で加工=もりい


なっなんです
瑞泰寺てなぁ!?

ああっりくさんのご両親のお墓だあ!
これもノーマークだったあ!
あ〜もう、日が暮れるし体力の限界!
明日行けたらいいがなあ。



▲吉之進さん墓所の高台から駅方面をのぞむ。
 どうやらあの踏切の向こうに瑞泰寺がある?



まっぴらごめんください。


さて!
ホテルに戻りまして



▲16627歩。
 結局、3時間ぐらい歩いてました。






▲ホテルエントランスには
豊岡の特産品のカバン。



こちらのホテルさん、朝飯込みで5000円!
(もっとも予約した楽天の割引も効いている)
おまけにウエルカムドリンクでビール1缶無料でいただける。
くたびれた体にこれは嬉しかったです!
(駅前にホテルが林立していて競争が激しいのかな)
豊岡スカイホテル!オススメ!


で!!!


台風がやはり上陸しちゃうんですねえ!

夕方、SNSでは実行委員さんによってお祭りの中止が発表されました〜!


ガ〜〜〜〜〜ン


残念無念TOHYO--ase2





いやはや、朝は9時半頃から15時すぎまで、いろんな演奏やパレード、出店、ゲストには池乃めだか師匠までお迎えしての第20回のアニバーサリー。もよおしたっぷり用意されておりましたのになんとも残念。
苦渋の決断には断腸の思いであったろうことはお察しするにあまりありすぎ。
お気の毒としか言いようがありません。
(んま、あたしもたいがい気の毒だけど)


それでも、そもそも屋内で催しが予定されていた、りくさんと大三郎くんの書状の展示。
市役所でやることが判明したんですが、これは決行ということで。

ただ、帰れなくなったらコトだってんで、この日のうちにあわくって帰りの切符の時間を夕方から朝に変更しちゃったんですよね。
何時から展示やってるのかどう検索しても出てこなくて、市役所なんて8時半からだろうと予想して手配。
そしたら切符の手配の後になってSNSのほうに問い合わせのお返事をいただいて、なんと展示は9時半から。
んわちゃ〜っ!あたしの帰りの汽車はその数分後に発車…

ん〜〜、いいや。朝飯食べたら押しかけてみよう!


雨<翌朝>雨


雨脚は前日より強くなり、どうあがいてもステージイベントやパレード、屋台村は無理。
逆に未練も断ち切れるというものですわい。

ホテルの朝飯は和食バイキングで小柄なおばさまが愛想よく切り盛りしていらっしゃる。
(レストランの名前が「くすくす」っていうんで上機嫌)

「お冷はどれですか?」
「えっ? ああ、お水ですか。お持ちいたします」

「これはこのお出汁でいただくんですか?」
「えっ?」

「旅先でいただく朝食は格別ですな」
「えっ?」

この人、耳が遠いわけではなくあたしの言語形態が性に合ってないらしい。

「アサメシうめえやっ(^^)」
と言い直したら「ああ」と言ってニコニコおかわりをよそってくれた。



▲ホテルの朝ごはん、だいすきっ!


チェックアウトして、雨の商店街を行って市役所に着くと、9時をすこし回ったところでこの日やっていた衆議院選挙に雨の中パラパラと人が集まってきていた。



▲レトロな復興建築の市役所(選挙の投票所だった)。


隣接する棟の展示場では、準備が昨日のうちに済んでいるようでスタッフさんは何人もいたがせわしない感じではなかった。
開場前だが、お願いするとこころよく入れてくださった。
言ってみるもんですなあ!



▲中央の「生花こども作品展」を囲むように歴代「りく娘」さんと忠臣蔵資料が掲げられています。




▲実物があるけど写真もある「りく寄贈の磬子(きんす)」


▲そして、どーーーん!!!

りくが弘前・大石家の親戚(大石庄司)に宛てた大三郎の仕官とるりの結婚のあと押しへの感謝と、内蔵助のおじさんが亡くなったことなどに触れている。(だそうだ)
手前は大三郎の手紙で、やはり庄司に宛てた内祝いのお礼と姉るりの結婚祝いのお礼。(だそうだ)


資料など熱心に見ているとスタッフのかたが、もちまき大会に使用するはずだった紅白のお餅をくださった


こちらの運営の皆さんからは「仕方がないや」という感じの脱力感を読み取ろうとすればできないこともないが、存外どーんと落ち込んだ感じでもなくピリピリもしておらず、淡々とやるべきことを進めている様子。(もちろんはらわたが煮えくりかえってる方もいらっしゃるはずですが)
「生憎でしたねえ」と声をかけると
「ほんま、よりによってねえ」と答えが返ってきた。

あたしが帰ったあと、こちらでりく娘さんの撮影会や、スタンプラリーの景品交換などがあったそうです。



りくまつりは今年を最後に来年からは休止すると噂で聞いた。
でもこれ、なんとか来年リベンジせんものかなあと思う。



             ふたつともえ



さて
以上が豊岡さんぽの顛末なのでございますが…
今回、出かける数週間前から汽車の時間など決めたくていろいろ検索するんだけどなかなか欲しい情報が得られず困った。
結局、直接お電話やメールでやさしく対応していただいたが基本的に「他府県からわざわざ客が来る」という想定が無いような印象の応対だった。
このことは自分が今後、なにかを企画する上でたいへん参考になりました。


今度は海のほうにも行きたいな。
名物も食べたい。
行ってないりくさんのご両親のお墓もリベンジしなきゃ。
そそ。
また来たいと思いました ちんべえ




▲パレードがあるはずだった商店街通り。
 もらったモチをナマでぱくつく。



BLIGHTさようござらば
  みなさん、ごきげんようBLIGHT




▲和風の内装がイカす、はしだて2号。
(KTR8000形を改造した(の?)「丹後の海」)


 
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とよおか忠臣蔵(1)
とよおか忠臣蔵(1)


方向音痴で地理もダメで歴史も詳しくない「忠臣蔵オタク」もりいくすおがお届けする、なんとなく歩き出しちゃう忠臣蔵紀行。
このたびは大石りくさんのふるさと
「兵庫県 豊岡(とよおか)」を訪ねます。

出かけた10月21〜22日(土日)が「大石りくまつり」なんです。
りくさんにちなんで毎年行われるこのお祭りも20回目。
ずっと行きたい、行きたいと思ってた豊岡に、このアニバーサリーはお出かけにうってつけと荷物をまとめました。





忠臣蔵では、松之廊下事件のあと赤穂浅野家が解散になって、大石内蔵助一家は京都の山科に暮らしてましたが、ある日内蔵助は奥さん・りくと子どもたちを離別して奥さんの実家、但馬国(たじまのくに)・豊岡に帰します。
忠臣蔵はこのくだりで「豊岡」とか、実家のお父さんの名前「石束源五兵衛」という名詞が出てまいります。

あたしゃこの「実家」郷里にうかがうわけであります。



▲拙著「忠臣蔵えほん」より「山科の別れ」


東京から、京都で乗り換えて新幹線と山陰線に揺られて約5時間弱。
兵庫県豊岡に到着です。
あーっいつも使ってる歯ブラシ忘れたっ!



▲特急・きのさき 287系(ですか?)。京都駅


今回はお祭りもさることながら
やはり、りくさんゆかりの地を訪ねたい。
お出かけは主にお墓です。

…と、まもなく豊岡駅に到着というところで
車窓から雁木模様の横断幕が目に飛び込んでまいりました。
「大石内蔵助次男の墓所」とかなんとか!?

事前に調べてた「赤穂義士事典」に載ってませんけど!?
(載ってたらあしからず)



▲合成によるイメージ図(再現)


到着は午後13時半すぎ。
お寺が閉まるのはだいたい16時とかだけど、
それまでにパーッと回れるかしら。
できればあの車窓から見えたアソコも行きたい。

で、実はこの日、朝9時ごろからりくさんのご法要と、赤穂・大石神社の飯尾宮司さんによる公演がりくさんの遺髪塚がある正福寺で執り行われてたんですよね。
朝、早すぎて東京から行ける列車がなく、前の日は夜21時過ぎまで授業があるし参加が不可能なんですな。
もうちょっとうしろ倒しだったら参加できたんだけどなあ・・・


駅前にはアイティという商業施設がございます。
こりゃ旅行者には頼もしい。
歯ブラシと腹巻きを買いました。



▲豊岡駅


▲アイティ

この商業施設が出来るに当たっては商店街も戦々恐々としたのでしょうかなあ。
「〇〇の奥さんたら、あそこでパートしてるわよ」
「あらまあっ」
みたいなドラマもあったのかなあ。



▲道端に「大石りくまつり」ポスター。


予約したホテルのチェックインは16時(お寺さんが閉まるのがだいたいその時分と踏んだ)に設定してるんで、とにかくその駅前ホテルのロビーに荷物をあずけて散策に出発。



▲回りたいのはこちら。
 りくさんのおじいさんのお墓。
 りくさんの遺髪塚。
 りくさんの実家跡地。
 「?」部のもやもやしたところも回りきれるか?



駅からりくさんの遺髪塔のある正福寺さんまでは、だいたい新橋から有楽町ぐらいかなと思ってましたが(<地図見ろよ!)、事前に観光協会さんに問い合わせてメールで送っていただいてた祭りの内容の中にあたしの回りたいコースとかぶる「ゆかりの地めぐりウォーキング」なる企画があり、そこには全工程「約7キロ」とある…

ななきろ・・?っていうのがまたピンとこなかったんですが、1キロを大体10分位で歩くから(そう?)、全部回って一時間半位っていうことかしら。
まあいいや。
でかけます。


こっちに駅があって、むこうに川があって。…って、すごくわかりやすい立地にありながら、まず、りくさんのお祖父様のお墓がある養源寺に行くのに迷った

これ、あとから思ったんですけど、ちゃんとあってる道のりだったのに途中で「間違えた」と勘違いして前後不覚になった感じ。
ナビを見ててもなかなか埒が明かず、「あった!」と思ったら天理教さんの施設だったり・・自分で「すこしバカなんじゃないか」とこころぼそくなったNAKI-SOH



▲ま、無事に着くんですけども。養源寺さん



▲りくの祖父・石束源五兵衛のお墓

石束家は地元・京極家の国家老さん。
りくさんのお父さんはおじいちゃんと同じミドルネームで「毎公(つねとも/つねよし)」。「石束宇右衛門(うえもん)」とも言う。


で、
画像のお天気、悪いでしょう??
台風が近づいていたんですねtohoho
ずっと小雨が降ったり、止んだり。


さて、おともだちの歴史研究家・三左衛門さんがいませんともう、あたしひとりの散策なんざあスタンプラリーみたいな感じでサクサクしておりまして、徒歩なんで日が暮れちゃいけないし、川を目指して歩き出します。
(あ、実際、こちらスタンプ設置中)

おおきな円山川(まるやまかわ)を渡る陸橋のところまでやってまいりました。







あれに見えるは正福寺じゃないか!?



▲わかりやすっ!!!!!


橋を渡るとわかりやすい道案内がそこかしこに。





▲スタンプラリーのおかげか、のぼりのお陰で迷わない。



▲このスロープを上るんですね!?


▲スロープを上る途中でふりかえると、おぉっと!
 なんかあるじゃありませんか!ブロンズが!
 いいや、あとで見ましょう。





ごほんどう〜〜〜!
りくさんは討ち入りのあと、お父さんとともにこのお寺に移って、息子の菩提を弔ったと伝えられているそうです。


ここで午前中、大石神社の飯尾宮司の公演があったのですね。
参加したかったなぁ〜。

いまは静まり返って人気もなく、樹に滴り落ちる雨粒の音と、遠くにカエルと虫の声だけが聞こえております。

SNSのメッセージで飯尾宮司さんから
「お会いできず残念
 講演後出石にて名物の出石蕎麦御膳を馳走になりました」

ということで。ふう〜〜ん!

「いいね!」

あたしゃ晩飯はアイティでオムレツ食べましたよtehease2





ご本堂と向かい合わせに平岩弓枝さんの碑が。
平岩先生はハイティーンのりくが結婚して、やがて夫や子供を亡くし自分が息を引き取るまで(だったかな)をえがいておられ、名だたる女優さんがお芝居にしてらっしゃいます。

「華やかにして 慎ましく
 たをやかにして 強く
 凛と咲いた花影の花の人
 大石りくこの地に誕生す」



で、ええっと、あ、こっちですね。




まもなくたどり着きました!





先日は広島にて失礼をいたしました。
ご無沙汰しております。
なんだかこないだは炎天下で今日は雨で…。
いえいえどういたしまして、なにも悪く思うところはございません。こっちのことでございまして(笑)…それよりもいつも汗だくの無作法をお許し下さい。
心ばかりのお賽銭を。
いえいえそれではこちらの気が済みません。
それでは随分ご機嫌よろしく。


周囲はこれ、なかなかの崖でございまして、みなさま酔っ払ってお出かけになんかなさいませんように。


来たスロープを戻ってブロンズ像。



▲ちょっとこわい…

お墓のある広島でも、こちら豊岡でも、見晴らしのいいところに、りくさんいらっしゃって、ようございますね。

どちらも、お子さんたちと仲良く肩寄せ合って。


「とよおか忠臣蔵」

長くなりますのでひとまずこれにて前編の終了でございます。




▲スタンプラリーの正福寺のスタンプ。


(後編はこちら)>★





 
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