2018.12.18 Tuesday 17:02
港区歴史フォーラム2018
2018年12月はじめ、ニッショーホール(というところがまた泣かせる)において「港区歴史フォーラム」に登壇させていただいた備忘録。
忠臣蔵大好きなあたしがテーマに選んだのは、吉良さん。
題して
「ステキなワル役 吉良上野介」
彼の「存在感」無くしては忠臣蔵が成り立たないと思ったからなのであります。
あの人は「ただのおじいちゃん」ではないのであります。
難攻不落のラスボスである吉良様をご来場の皆様に思い出してほしかった次第。
▲吉良軍団(もりい画)
近年のドラマがもうひとつ「忠臣蔵を見た!」というカタルシスを感じないのは、脚本上でなにかと吉良に「言い分」を与えてしまうからじゃないかと。
敵役のバックグラウンドや言い分を劇中に出せば出すほど最後の討入にラスト・バトル感が無くなる。それどころか殺伐としたものに映ります。
これは、料理を美味しくいただく食レポに屠殺シーンを差し挟むくらいよけいなことで、かつ間違っていると思うのです。
たとえば、ハリウッドもイギリスも生涯この一本(映画)をアンケートすると入選する「七人の侍」。
アレがどうして痛快に面白いかと言われれば、野武士の家庭の事情が表現されないからであります。
悪役に言い分を持たせないのは大事な「コツ」なのです。
勧善懲悪を認めてもらえない昨今の風潮はポリティカル・コレクトネス(平等主義)などの影響があると思うのですが、往年の作品のように吉良は徹底した悪役に戻ってもらいたい。
そうすることで「良い忠臣蔵」を今後も作り続けてほしい。
そういう願いを込めた構成を考えました。
とはいえ、吉良上野介は実在した人物であり、イビリの内容などまったく伝わっておらず(イビリの事象は伝わっている)、元・ご領地の人たちの気持ちを考えると昭和以前のようなステレオタイプの描き方にはいささか配慮が必要かとも思います。
そこで解決策を考えるというオチを目指します。
奇しくも前半の講演の加来耕三先生も(2部構成のイベント)テレビや映画の忠臣蔵劇と大衆について言及しており、良いつながりが出来てよかったです。
先生は
「わたしは平成の終わりとともに忠臣蔵も終わると思います」
という絶望的な結論。
それを受けてわたしは
「終わらせないためには・・・」
と、やったわけであります。
まずカンタンに忠臣蔵物語では吉良がどのように扱われてきたか「早わかり忠臣蔵絵本」から3場面(いじめ〜刃傷〜討ち入り)を抜粋。
講談本のセリフを重ねて振り返ります。
美術品を愛した吉良は絵のように屏風を破壊したりしなかったろうと言ういっぽうで、鹿島藩や津藩で香炉や花活、雪舟の掛け物なんかをせびったと伝えられる話を紹介。
しまいにゃ
「吉良さんが来るときは良いものは出しておかないほうがいいですよ」
という噂が立つようになった。っていうエピソードも話しました。
夜の部だったかMCさん(主催の信頼も厚い野口菜菜さんは明るく勘ばたらきが良く、ずいぶん助けられました。)がここで
「ほしがりやさんだったんですね」
と振ってくれたので、ついでに息子を養子にやった上杉家に出向いてはリフォーム代を無心したりして家老に煙たがられたというハナシもしちゃいました。
映画「赤穂浪士」の抜粋もして、里見浩太朗の綱憲から
「その方はわたしの父が嫌いであろう」
と図星を指されて上杉家家老の千坂兵部の市川右太衛門が狼狽するシーンを再現しました。
▲吉良軍団(もりい画)
近年のドラマがもうひとつ「忠臣蔵を見た!」というカタルシスを感じないのは、脚本上でなにかと吉良に「言い分」を与えてしまうからじゃないかと。
敵役のバックグラウンドや言い分を劇中に出せば出すほど最後の討入にラスト・バトル感が無くなる。それどころか殺伐としたものに映ります。
これは、料理を美味しくいただく食レポに屠殺シーンを差し挟むくらいよけいなことで、かつ間違っていると思うのです。
たとえば、ハリウッドもイギリスも生涯この一本(映画)をアンケートすると入選する「七人の侍」。
アレがどうして痛快に面白いかと言われれば、野武士の家庭の事情が表現されないからであります。
悪役に言い分を持たせないのは大事な「コツ」なのです。
勧善懲悪を認めてもらえない昨今の風潮はポリティカル・コレクトネス(平等主義)などの影響があると思うのですが、往年の作品のように吉良は徹底した悪役に戻ってもらいたい。
そうすることで「良い忠臣蔵」を今後も作り続けてほしい。
そういう願いを込めた構成を考えました。
とはいえ、吉良上野介は実在した人物であり、イビリの内容などまったく伝わっておらず(イビリの事象は伝わっている)、元・ご領地の人たちの気持ちを考えると昭和以前のようなステレオタイプの描き方にはいささか配慮が必要かとも思います。
そこで解決策を考えるというオチを目指します。
奇しくも前半の講演の加来耕三先生も(2部構成のイベント)テレビや映画の忠臣蔵劇と大衆について言及しており、良いつながりが出来てよかったです。
先生は
「わたしは平成の終わりとともに忠臣蔵も終わると思います」
という絶望的な結論。
それを受けてわたしは
「終わらせないためには・・・」
と、やったわけであります。
まずカンタンに忠臣蔵物語では吉良がどのように扱われてきたか「早わかり忠臣蔵絵本」から3場面(いじめ〜刃傷〜討ち入り)を抜粋。
講談本のセリフを重ねて振り返ります。
美術品を愛した吉良は絵のように屏風を破壊したりしなかったろうと言ういっぽうで、鹿島藩や津藩で香炉や花活、雪舟の掛け物なんかをせびったと伝えられる話を紹介。
しまいにゃ
「吉良さんが来るときは良いものは出しておかないほうがいいですよ」
という噂が立つようになった。っていうエピソードも話しました。
夜の部だったかMCさん(主催の信頼も厚い野口菜菜さんは明るく勘ばたらきが良く、ずいぶん助けられました。)がここで
「ほしがりやさんだったんですね」
と振ってくれたので、ついでに息子を養子にやった上杉家に出向いてはリフォーム代を無心したりして家老に煙たがられたというハナシもしちゃいました。
映画「赤穂浪士」の抜粋もして、里見浩太朗の綱憲から
「その方はわたしの父が嫌いであろう」
と図星を指されて上杉家家老の千坂兵部の市川右太衛門が狼狽するシーンを再現しました。
歌右衛門の真似と言っても
「ッパ」
しか言わなくても笑ってくださるのだからご年配のお客様はうれしい。
あと、津軽藩で吉良が、出された膳に「このごはん、まずいね〜」と言ってぶち切れられたハナシもした。
「思ったことをクチに出しちゃう性格なんですね」
と野口さん。彼女の切り返しがすごくやさしくわかりやすい。
「ッパ」
しか言わなくても笑ってくださるのだからご年配のお客様はうれしい。
あと、津軽藩で吉良が、出された膳に「このごはん、まずいね〜」と言ってぶち切れられたハナシもした。
「思ったことをクチに出しちゃう性格なんですね」
と野口さん。彼女の切り返しがすごくやさしくわかりやすい。
おかげで「嫌われ者」を説明していくカードが揃ってまいります。
(内匠頭の小姓を所望したとか、畳替え事件とかはハナシの流れ的にリアリティを欠くと考えて話題にしませんでした。)
さてそれから吉良上野介という人の血統や家格に触れました。
「1000年以上前の清和天皇からの流れを系図にすると毛細血管みたいになるので代略に代略を重ねてこうしました!」
▲サッパリ!
そもそもわたしは忠臣蔵以外は浅学であり、平安時代からの話なんかとても出来ません。
だからこれでちょうどいい。ウケたしw。
血統もさることながら、室町の武将時代は(<義尚さんという先祖について)天皇の警護をして菊の御紋章をもらったとか、六代将軍が亡きあと将軍の代理を務めたりという実績やトップクラスの人たちとのパイプについてここで話すのに系図は役立ちました。
われらが(?)吉良上野介義央も若いときにお父さんと一緒に天皇に退位の勧告に行ってそれを成功させたりしてるという。きょうびバイトをクビにするのにも神経をつかうのに、天皇様ですよ!…みたいなかんじでとにかく吉良家の輝かしい功績を紹介したのです。
時代が、チカラが本意ではなく儀礼社会になって高家という職業が出来たときも、選ばれた26家の中でもおじいちゃま(義彌よしみつ)が知識や仕事ぶりでは他家を抜いてトップクラスだったという。
そんなサラブレッドの吉良上野介義央も微妙な関係の幕府と朝廷との間を行ったり来たりしてうまいこと取り持ち、仕事のミスが一度もなかったと伝えられる。
旗本と言っても官位は高く、エリートでセレブ。サラブレットで仕事ぶりに非の打ち所がない。そのうえ美男の貴公子。
そもそもそんな男、よほど相手へのおもいやりがなければ好かれるわけがない!?
こういう人から
「そこに飾ってある香炉、なかなか良いね」
かなんか言われれば断れない。…厄介。
これだけのバックグラウンドのひとなら目下(めした)に対して傲岸不遜であったことも容易に考えやすい。
あたしのような昭和世代でもさんざん「上」の人には威張られたものです。
堀部弥兵衛金丸覚書にも
「伝奏屋敷で用意した品物に悪口三昧だったが殿様はグッとこらえた。でも殿中で諸人の前で武士道が立たない悪口を言われた」
という記録が残っている。
また、あまりにほうぼうに通じているからいろんなことを「知りすぎた男」として命を狙われるという歴史ミステリーも、よくある。(家康が征夷大将軍になりたいから源氏の長者である戸籍が必要となり吉良が工作したというテイはゲームにも採用されている)
ここいらへんで、吉良さんが上等であればあるほど難攻不落のイメージが上がっていき、四十七士がケイパーに苦労するほど討ち入りが盛り上がると念を押しておけばよかったな〜。
わたしに言わせりゃ「忠臣蔵」づくりには大事なポイントなんです。そうすることで、討入をあたかも通りすがりのおじいちゃんをリンチしたような言われ方は通用しなくなってくると思う。
次に地元、三河国の吉良町(愛知県西尾市)での愛され方。
西尾市にはそこかしこに馬にまたがった吉良さんの像があることを写真で紹介。
…しかし、スーパーエリートでセレブの吉良さんが農耕用の駄馬にまたがって堤防工事の巡察をするだろうか??
しかも旗本は領地に出向かないのでは?(家老を代官にして派遣するのがふつうだそうで…でも一回帰ったってハナシがあるそうですな)という話を遠慮がちに差し挟むところにどうしても吉良さんを褒めきれない、わたしのイサギの悪さが見え隠れいたします。
ただ、そんなもりい くすおのしょぼい見解はともかく、吉良に仕えた小姓さんの墓から法名が削られてる件(吉良のイメージがあまりに悪いので遺族が削除した)や、東京は中野の萬昌院功運寺の吉良のお墓(三左衛門さんから格式のあるお武家さんならではの宝篋印塔というデザインに関してや戒名も最高ランクであることをうかがって、お墓のハナシも豊かになりました。)は投石によって傷だらけ。
芝居のヒットによって膨らんだ虚像によって墓まで被害を受けたりしなくちゃいけないのか。そうした同調現象は怖い。
ここで華蔵寺に行ったときに事務所で働くガイドのご婦人クロヤナギさんから聞いた
「ほめられたって、けなされたって知らん顔。背伸びしたって大したことないです。正直にやっとれば助けられる」
という言葉を紹介。
もりいはこのコトバを、吉良町の人たちの堪忍袋と吉良上野介の(霊の)自重というふうにとらえ、現代のネットにおける炎上被害に対する「スルー安定」とかぶせて、いまもむかしもかわらぬ最良の対処法と結論づけた。
MC菜菜さんここで「吉良さんかっこいい」くださって、いい流れに。
仏様にまで大衆に牙を向けさせた、これまでの役者の大衆を引き込む演じっぷりはすごい。
ここで、どんな役者が吉良像を作り上げていったか、もりい くすおが選ぶ「役者ベスト4」を紹介。
以上の4方をものまね(すごく低いクオリティでw)で紹介して、月形龍之介の時は
「牛のヨダレのようにくどくどと言い訳を」
とMC菜菜さんに向けて言い、彼女に(あらかじめ渡しておいた小サ刀で)刃傷してもらう寸劇を披露してお茶を濁しました。
新作は誰がいいかという結論で、これまでのバックグラウンドから片岡仁左衛門を妄想して提案。
おおむね同意を得られた客席の反応だったが「最後に殺されちゃうのはちょっと…」というファンの感想も頂いた。
最後に、時節柄とご当地への配慮から、新作ができたら作品公開前につぎの様な字幕を流したらどうかという提案で締めくくった。
これはこの講演のちょっと前、時代劇専門チャンネルで「座頭市」全シリーズを放映する際にいちいち「製作時は配慮にかけていた時代だったでご容赦を」という何枚かに渡り字幕スーパーに倣ったものであります。
…で、本編
「ジャジャーン!」
これを1枚ずつスライドで送りまして淡々と読み上げるとなんとも滑稽でございました。
それで、
「あとは放送中に画面右下かなんかに「※諸説あります」かなんかずっと入れておけばいい。」
…これに関しては、ギャグが半分。時節に苛立つ本音も半分でございました。
で、幕。(約40分)
朋友の三左衛門さんがよくおっしゃってますが、歴史の研究というスタンスではもはやどっちが良かったとか悪かったではなく、吉良と赤穂浅野にどういう確執があったのか。が論点になるべきで、おっしゃるとおり。
虚像の吉良さんについては、あたしゃ300年以上講談や芝居で日本のクリエーターがこねくり回してきた「伝統」を守り続けてほしいと願うわけでございます。
<あとがき>
今回の内容は三左衛門に良書をさんざん教えてもらい、さらに細かくご指南いただいて実現いたしました。
(内匠頭の小姓を所望したとか、畳替え事件とかはハナシの流れ的にリアリティを欠くと考えて話題にしませんでした。)
さてそれから吉良上野介という人の血統や家格に触れました。
「1000年以上前の清和天皇からの流れを系図にすると毛細血管みたいになるので代略に代略を重ねてこうしました!」
▲サッパリ!
そもそもわたしは忠臣蔵以外は浅学であり、平安時代からの話なんかとても出来ません。
だからこれでちょうどいい。ウケたしw。
血統もさることながら、室町の武将時代は(<義尚さんという先祖について)天皇の警護をして菊の御紋章をもらったとか、六代将軍が亡きあと将軍の代理を務めたりという実績やトップクラスの人たちとのパイプについてここで話すのに系図は役立ちました。
われらが(?)吉良上野介義央も若いときにお父さんと一緒に天皇に退位の勧告に行ってそれを成功させたりしてるという。きょうびバイトをクビにするのにも神経をつかうのに、天皇様ですよ!…みたいなかんじでとにかく吉良家の輝かしい功績を紹介したのです。
時代が、チカラが本意ではなく儀礼社会になって高家という職業が出来たときも、選ばれた26家の中でもおじいちゃま(義彌よしみつ)が知識や仕事ぶりでは他家を抜いてトップクラスだったという。
そんなサラブレッドの吉良上野介義央も微妙な関係の幕府と朝廷との間を行ったり来たりしてうまいこと取り持ち、仕事のミスが一度もなかったと伝えられる。
旗本と言っても官位は高く、エリートでセレブ。サラブレットで仕事ぶりに非の打ち所がない。そのうえ美男の貴公子。
そもそもそんな男、よほど相手へのおもいやりがなければ好かれるわけがない!?
こういう人から
「そこに飾ってある香炉、なかなか良いね」
かなんか言われれば断れない。…厄介。
これだけのバックグラウンドのひとなら目下(めした)に対して傲岸不遜であったことも容易に考えやすい。
あたしのような昭和世代でもさんざん「上」の人には威張られたものです。
堀部弥兵衛金丸覚書にも
「伝奏屋敷で用意した品物に悪口三昧だったが殿様はグッとこらえた。でも殿中で諸人の前で武士道が立たない悪口を言われた」
という記録が残っている。
また、あまりにほうぼうに通じているからいろんなことを「知りすぎた男」として命を狙われるという歴史ミステリーも、よくある。(家康が征夷大将軍になりたいから源氏の長者である戸籍が必要となり吉良が工作したというテイはゲームにも採用されている)
ここいらへんで、吉良さんが上等であればあるほど難攻不落のイメージが上がっていき、四十七士がケイパーに苦労するほど討ち入りが盛り上がると念を押しておけばよかったな〜。
わたしに言わせりゃ「忠臣蔵」づくりには大事なポイントなんです。そうすることで、討入をあたかも通りすがりのおじいちゃんをリンチしたような言われ方は通用しなくなってくると思う。
次に地元、三河国の吉良町(愛知県西尾市)での愛され方。
西尾市にはそこかしこに馬にまたがった吉良さんの像があることを写真で紹介。
…しかし、スーパーエリートでセレブの吉良さんが農耕用の駄馬にまたがって堤防工事の巡察をするだろうか??
しかも旗本は領地に出向かないのでは?(家老を代官にして派遣するのがふつうだそうで…でも一回帰ったってハナシがあるそうですな)という話を遠慮がちに差し挟むところにどうしても吉良さんを褒めきれない、わたしのイサギの悪さが見え隠れいたします。
ただ、そんなもりい くすおのしょぼい見解はともかく、吉良に仕えた小姓さんの墓から法名が削られてる件(吉良のイメージがあまりに悪いので遺族が削除した)や、東京は中野の萬昌院功運寺の吉良のお墓(三左衛門さんから格式のあるお武家さんならではの宝篋印塔というデザインに関してや戒名も最高ランクであることをうかがって、お墓のハナシも豊かになりました。)は投石によって傷だらけ。
芝居のヒットによって膨らんだ虚像によって墓まで被害を受けたりしなくちゃいけないのか。そうした同調現象は怖い。
ここで華蔵寺に行ったときに事務所で働くガイドのご婦人クロヤナギさんから聞いた
「ほめられたって、けなされたって知らん顔。背伸びしたって大したことないです。正直にやっとれば助けられる」
という言葉を紹介。
もりいはこのコトバを、吉良町の人たちの堪忍袋と吉良上野介の(霊の)自重というふうにとらえ、現代のネットにおける炎上被害に対する「スルー安定」とかぶせて、いまもむかしもかわらぬ最良の対処法と結論づけた。
MC菜菜さんここで「吉良さんかっこいい」くださって、いい流れに。
仏様にまで大衆に牙を向けさせた、これまでの役者の大衆を引き込む演じっぷりはすごい。
ここで、どんな役者が吉良像を作り上げていったか、もりい くすおが選ぶ「役者ベスト4」を紹介。
以上の4方をものまね(すごく低いクオリティでw)で紹介して、月形龍之介の時は
「牛のヨダレのようにくどくどと言い訳を」
とMC菜菜さんに向けて言い、彼女に(あらかじめ渡しておいた小サ刀で)刃傷してもらう寸劇を披露してお茶を濁しました。
新作は誰がいいかという結論で、これまでのバックグラウンドから片岡仁左衛門を妄想して提案。
おおむね同意を得られた客席の反応だったが「最後に殺されちゃうのはちょっと…」というファンの感想も頂いた。
最後に、時節柄とご当地への配慮から、新作ができたら作品公開前につぎの様な字幕を流したらどうかという提案で締めくくった。
これはこの講演のちょっと前、時代劇専門チャンネルで「座頭市」全シリーズを放映する際にいちいち「製作時は配慮にかけていた時代だったでご容赦を」という何枚かに渡り字幕スーパーに倣ったものであります。
…で、本編
「ジャジャーン!」
これを1枚ずつスライドで送りまして淡々と読み上げるとなんとも滑稽でございました。
それで、
「あとは放送中に画面右下かなんかに「※諸説あります」かなんかずっと入れておけばいい。」
…これに関しては、ギャグが半分。時節に苛立つ本音も半分でございました。
で、幕。(約40分)
朋友の三左衛門さんがよくおっしゃってますが、歴史の研究というスタンスではもはやどっちが良かったとか悪かったではなく、吉良と赤穂浅野にどういう確執があったのか。が論点になるべきで、おっしゃるとおり。
虚像の吉良さんについては、あたしゃ300年以上講談や芝居で日本のクリエーターがこねくり回してきた「伝統」を守り続けてほしいと願うわけでございます。
<あとがき>
今回の内容は三左衛門に良書をさんざん教えてもらい、さらに細かくご指南いただいて実現いたしました。
リアルガチに感謝いたします。
またしゃぶしゃぶ参りましょうね!
<追記>
このブログ書き終わった翌日、湯船の中で思いついた!
このブログ書き終わった翌日、湯船の中で思いついた!
今後忠臣蔵を楽しんでもらう手のひとつとして吉良さん関係にどう配慮するかに脳みそを絞るよりも、「吉良さんを出さない」というやり方もアリだなと思った。
そもそも忠臣蔵はあんまり見たこともない殿様や、もっと見たこともない高家筆頭のためにみんなが暗躍する話であり、討ち入りまでの人間ドラマ=各・見せ場が要なのであります。(「ワンシーンに起承転結がある見せ場の芝居が魅力だ」TBSラジオ「アフター6ジャンクション」より春日太一氏の談話)
そうすることによって鑑賞者は義士たちの心の有り様だけに注目することが出来る。
純粋なケイパーものとして楽しめそうではありませんか。