小説
怪異談 忠臣蔵
〜ゾンビが出てくるやつ〜
この作品はフィクションです。文中に出てくる名称と、実在の個人名、団体名とは一切関係がありません。
(連載2)
侍が血のついた槍を横に軽く払うと中間は、気を取り直して懐紙を取り出した。
中間は手覆をつけている。
「そういえば先ほど、ふたりほど、町人と擦れ違いましたが」
「お囲いを見に来た野次馬だ。三人連れかと思うておったら、此奴があのふたりに忍び寄ってきて、危ないところだった」
侍は死骸を見下ろしたまま、急に笑いだし
「フフフフッ町人め、こいつを恐れてではなく、俺を辻斬りと間違えて、横っ飛びに逃げて行きおった。酒に罪は無いわい」
「…さようで、ございますな…」
差し迫ったときでも、こうして砕けた態度でいられるこの侍を、中間はたいがいの場合「性根が座っていて、すごいな」と思ったものだったが、何割かはいつも呆れていた。
この日ときたら、いまのような生きた心地のせぬ、睾丸(きんたま)が縮み上がるようなことが立て続けに起きていて、中間はとびきりこわくてたまらないでいる。
こわばった笑顔を精一杯に作って、侍に向けてから、つきだされた刃を紙で挟み、両手で注意深く拭いを掛ける。
侍が懐から呼子を出して吹くと、間もなく灯りがいくつもやってきた。
その侍に似た風体の男がひとりと、役人風が何人か。総髪の男。それに突棒を持った三〜四人の番太だ。
「高田うじ!」
駆けつけた、同じ火事装束風の男が叫ぶ。
こちらは鮮やかな朱鞘の大小を、たばさんでいた。
「やったのか」
「うん。…生け捕りにしたかったがな。町人が襲われそうだったので、よんどころなくやっつけた」
実は「なんとなく」退治してしまったくせに、高田というこの侍は、ちょっと誤魔化して伝えた。
殺したのは捕縛して、しかるべき場所に戻さなければいけないというお触れの出ている、公的には便宜上「病人」とされている者であったのだ。
いま駆けつけた、同じ黒装束の男が興奮気味に言う。
「えらいことになったぞ。やはりほうぼうの塀が壊れておってな。長屋の戸が開け放しになっておった。此奴らは、そこから逃げたのだ」
「壊れていた…?」
「我らが到着してからこれまで、とっ捕まえたのと、こいつを入れて十人ほどだが」
「安兵衛。それでは、ことによると何百と逃げ出しているかもしれないぞ」
「それさ」
火事装束ふたりの会話を聞いていた、役人風の男たちが
「滅相な…」
と、途方に暮れたように長嘆息して、周囲にきょろきょろと目を配る。
高田だの安兵衛だのと言い合っている、火事装束風の男ふたりは、播磨の国は赤穂浅野家の江戸詰の家来たち。
これについては注釈をしなければいけないが、後ほどお話する。
「たしかに。いま詰所で帳面を調べておるところですが、囲っておったものが、いまは半分ほどに減っておるかも…と、内所が言っておった…」
「ばかな」
「半分とは穏やかではないぞ」
「左様。ここには千人ほど収容されていると聞く。五百も逃げ出していたら、これまでにもっと、そこいら中で見つけているはず」
「いや…、おるぞおるぞ。それ、あれに見えるのもそうではないか」
「ああ。さっきから見て知っている。それ、あそこにも…」
「まことにハヤ…長い時をかけて少しずつ逃げ出したようで。面目次第もござらん」
医者らしき総髪の男が、申し訳無さそうにうなだれた。
そこに安兵衛が
「くどくは言いたくはないが、近頃ここを犬屋敷と思うて、米を泥棒しようと曲者がずいぶん入っていたというではないか。それを一体どのように用心していたのです?」
「いやまったく、うつけなことで汗顔の至り」
「ただ、実に巧妙でして、見張りも襲われてしまって、いままでよりたいへん悪質。おかげで見つけるのも、すっかり遅くなってしまった次第で」
「これは物盗りなどではござらん。賊はコレがたくさん逃げ出すのに、どこをどう壊せばよいかをわかっているふうでしてな。塀や壁を壊して忍び入るというのは、これまで聞いたことがない」
「では、逃したと言うのか?わざと」
「逃してなんとする」
「いやそればかりはなんとも…。ただ、要害を知らずに忍び込んで狼藉を働くものは、たいていは、連中に襲われるものなんですが、此度はそれも無く…」
「いずれにせよ、たまたま今日はあなたがたが立ち寄ってくださったおかげで、随分と助かりもうした」
考えもよらない重い罰が、あとで待っていると覚悟して、医者も屋敷の警備をしていた当番の役人たちも気鬱になっている。
「ともかく手分けして、見まわりを続けましょう。」
「キリがありませんから、これからは、こいつを見つけても呼子でいちいち集まらなくてもいいでしょう。見つけたものがその場で処置をする。よろしいか」
「捕まえるときは高手小手にして、捕縛を心がけていただきたいですが、とっぷり暮れれば相手のほうが有利になります。やむを得ない場合は足だけでも」
と、安兵衛。
「心得た…」
「では、おのおの燈火を持たれいっ」
「われわれも、もうしばらく付き合いましょう」
「かたじけない。よし、じゃ、参るとしようか…」
集まった者達が、気重い足取りで、提灯や龕灯を持って思い思いの方向へ散る。
何人かは先ほど、話し中に見つけた、遠くの人影に向かって走っていった。
たったいま死んだ(?)、上唇の無い寝間着男は、手下たちによって御囲いのほうへズルズルと引きずられていく。
首から木札がぶら下がっていて、そこには「米 上 馬 田中某 慶五」としてあるのが、提灯の灯りに浮かんだ…。
それはこの男が、米沢藩上杉家の家来であることと、生年を示していた。
「やむなく…と言うは、どういういきさつだったのだ。郡兵衛」
安兵衛という侍が、今度は砕けた呼び名で、あらためて高田郡兵衛に聴く。
郡兵衛は、死んだ男が刺さっていた幹折れに、提灯の明かりを当てながら。
「どうだ。血がほとんど流れておらん。さっきのは取り憑かれてだいぶ長いぞ、安兵衛」
と言って、まともに取り合わない。
安兵衛は、中間の勝助を見やる。
勝助は、自分に視線をもらってオドオドしながら、高田と同じあたりを「どれどれ」というふうに、とぼけづらで覗きこんでいる。
「さっきのは上杉家の者だ。向こうに納得の行くように、報告せんければいかんぞ。」
「言うな。お前、アレを未だに病人と思うてか。縛って塀の中に戻すのが、情けか」
「それは俺達の考えることではない。捕縛は決まり事ではないか」
「…馬鹿ッ正直にそんなことを言ってるのは、近頃お前くらいなものだ…」
「ん?」
「エヘン。もうよい」
高田はこの安兵衛という友達と、言い争う気はさらさらなかった。
考え方の違いがあるのは、わかっていることである。
「報告ならいくらでもするわいっ」
塀の内側にいたのは、一千人あまりも収容されていると言われる、さっきと同じように様子がおかしくなった者達であった。
犬などではなかった。
「祟りにあった(と、された)化身」の者達なのである。
犬を保護するために、この半年ばかり前に大久保あたりに開設された、広大な敷地の犬小屋があったが、同じたてまえで作られた中野のここは、はなから犬のためのものではなかった。
先述のように変異した者達の治療と観察、祈祷と扶助、場合によっては腑分け(御用解剖)を目的とした、御救い小屋も兼ねた総合隔離施設であったのだ。
収容する長屋は、棟が武士と町民とに分けて建てられており、加えて治療の施設などがあって、ひとつの街のような規模になっていた。
それを「犬小屋」と不自然なウソで公にしたのは、事件が深刻であったため、江戸庶民を脅やかさないよう取り繕ったからである。
元禄の世では、医療に関心のあった将軍綱吉の庇護のもとに、怪現象を「病気のため」として隔離治療に励んだのだ。
否、励もうとした。
しかし成果は芳しくはなかった。
そうしてこのところ、役人たちは治療のあてのないこの患者たちを、こまめにここまで運んでは、収容していた。
「見ろ。あそこにつったっておるのもそうであろう?」
「よしっ。それがしが引き受けたッ」
「斬るなよっ」
それがいま、どれほどかは知れないが、一度に解き放たれてしまった始末なのである。
(つづく)
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〜解説〜
空前のパロディ小説。
次第に人名や団体名が出てまいりまして、まったくでたらめな内容なので、関係各位に於かれましては、あるいは不愉快に思うようなアレコレが(特にこれから)出てまいります。
ほんと、ご容赦ください。
さて、御囲いが壊されてなんか逃げ出す際に、見回り役人の数がどれほどなのか、壊された箇所がどのくらいなのか、だいぶ曖昧でございます。
あと、これはスマホよりPC版パソコン画面で読んでいただいたほうが、読みやすいかもと思いました。(行間とか)
今後ともご愛読をよろしくお願いします。
もりい