2019.11.10 Sunday 21:57
とよおか忠臣蔵(3)
ノベル版・講演
「勝手な夫とシングルマザー
〜大石りくという生き方〜」
大石りくさんの生まれ故郷、兵庫県・豊岡。
おじゃまいたしました!!
令和元年。10月のことでございます。
▲豊岡コミュニティセンターにて。
残念ながら、諸事情で、毎年やっていた「りくまつり」が、一昨年をかぎりに終わってしまったそのあとも、地域ではりくさんを語り継ごうとイベントを続けています。
新たなスタイルを模索して去年からスタートいたしましたのが、子育てグループや商店街、図書館等にも呼びかけて、バラバラにやっていたイベントを同日開催で盛り上げようという企画。
その名も
「てくてくりくりく」
あちこち、てくてく歩いて、楽しむイベントです。
「勝手な夫とシングルマザー
〜大石りくという生き方〜」
大石りくさんの生まれ故郷、兵庫県・豊岡。
おじゃまいたしました!!
令和元年。10月のことでございます。
▲豊岡コミュニティセンターにて。
残念ながら、諸事情で、毎年やっていた「りくまつり」が、一昨年をかぎりに終わってしまったそのあとも、地域ではりくさんを語り継ごうとイベントを続けています。
新たなスタイルを模索して去年からスタートいたしましたのが、子育てグループや商店街、図書館等にも呼びかけて、バラバラにやっていたイベントを同日開催で盛り上げようという企画。
その名も
「てくてくりくりく」
あちこち、てくてく歩いて、楽しむイベントです。
(あたしも参加しましたが、そのようすは「観光編」で)
そしてこのたび、目の利く観光協会の事務局長のHさんが、一昨年、せっかく豊岡に遊びにうかがったのに、台風で「りくまつりFINAL」を見そこなった、哀れなもりいくすおにお声がけ。
ただもうシンプルに忠臣蔵が好きなだけの男・もりいに出動のご依頼をくださいました。
それも、りくさん生誕350年というアニバーサリー。
喜び勇んで出かけた次第でございます。
講演の時間は1時間でございました。
そしてこのたび、目の利く観光協会の事務局長のHさんが、一昨年、せっかく豊岡に遊びにうかがったのに、台風で「りくまつりFINAL」を見そこなった、哀れなもりいくすおにお声がけ。
ただもうシンプルに忠臣蔵が好きなだけの男・もりいに出動のご依頼をくださいました。
それも、りくさん生誕350年というアニバーサリー。
喜び勇んで出かけた次第でございます。
講演の時間は1時間でございました。
以下、概略をお話いたします。
▲約70名のキャパのほとんどが埋まって幸福。
さて近年、
「吉良さんっていう人はじつは良い人だったらしいですね」
というような、忠臣蔵にまつわるアレコレが、昔といろいろ変わってとらえられてきてる昨今。
りくさんは、どうか。
これが「決算!忠臣蔵」にいたるまで、りくさんはりくさんなのであります。
ちゃんとした、女性。
それがりくさん。
まず、エンターテインメントで、「大石りく」は、どう作られてきたか。
つまり、そのキャラクターは、どう捉えられてきたかを振り返ります。
有名な登場シーンといえば、まずは講談(や、それをもとにした映画など)の「山科の別れ」が有名どころ。
これから、だいそれたことをしようと計画している大石内蔵助から、家族は形式的、表面的な離縁をされるんですね。
▲絵本「早わかり忠臣蔵」より
この、絵本の絵を描いた時のりくさんの表情は、決心を秘め、「あとのことはまかせろ」とアイコンタクトで夫にエールを送ってるようなイメージで描きました。
明治時代の研究本「豊岡と大石内蔵助夫人」によれば、りくが眠る広島国泰寺(こくたいじ)の墓誌(エピタフ)に貞女、淑女、自己犠牲、良妻賢母の模範みたいに書いてあるそうで、ま、とにかくちゃんとしたマジメな女性であるイメージは、まちがいないと。
凛としたイメージです。とにかく。
で、りくさんをモチーフにした、人形浄瑠璃や歌舞伎で有名な「仮名手本忠臣蔵」の「おいし」。
…あ、ちなみに、明治&大正期の講談本では、大石内蔵助の妻は名前がはっきりしないとしてあり、おいし(あるいはおせき)が有力とも言っている。名前からして、身持ちも硬いの硬くないの。などと紹介していますな。
仮名手本忠臣蔵の九段目。自分ちの息子との婚約を破棄した相手、元フィアンセの小浪ちゃんと、その義理の母・戸無瀬たちと口論。
おいしは、彼女たちに「破棄した婚約を取り消してほしかったら」と引き出物を所望。
「この三宝へは、加古川本蔵(小浪の父親)どのの、お首を乗せてもらいたい」
と、サディスティックなことをいうキャラになっています。
そして今度は映像メディアにおける、これまでりくさんを演じた女優をふりかえってみて、ああだこうだと、作品と演じられぶりに触れます。
たとえば、竹下景子さんや「峠の群像」の丘みつ子さんなんかは、ガミガミ奥さんな雰囲気もございましてな。
そして、もりいくすおが選ぶ、ベストりく女優トップ3。
かいつまみましたこのように…
忠臣蔵が引退作品になった、原節子さん。
なにもかもグッとこらえて耐え忍ぶ姿は、武家の娘として非常に重みがあっていいんじゃないか。
大柄だと伝えられるプロポーションも再現出来ているかと。
ただ、原さん、あまりにも台詞が少なく、存在感が希薄。
そこで、2位の山田五十鈴さんに水を開けられる。
山田さんは、映画やテレビで大石りくを演じており、(関係ないけど「必殺シリーズ」でも、りく)演技力と存在感で申し分のない出来栄え。
ところがですね、山田さんの私生活、男性遍歴を見ますと、芸のためとはいえ、りくさんを演じるのにはちょっと、アレかなと。
そこで堂々の第1位は、大竹しのぶさん。
後述いたしますが、今回資料として読みふけった、地元豊岡の考古学者・瀬戸谷晧先生の著書「忠臣蔵を生きた女」によると、りくさん、ひじょうにふつうの奥さんなんですね。
するとやっぱり、山田五十鈴というようなビジュアルよりも、大竹しのぶさんのあっさり感(演技は熱いけど)が、イメージに近いんじゃないかと。
ちょっと横道にそれますが…
りくさんは、「くすや」でたいへんお世話になってる研究科・三左衛門さんによると「内蔵助や安兵衛とまではいかないまでも、彼女の手紙がたくさん発見されている」ということで、特に、赤穂事件のあとの関係者の消息について知るのに、有力な資料となっているとか。
くだんの名資料「忠臣蔵を生きた女」には、りくの手紙がたくさん紹介されていますが、その内容には
「辛味大根とおそばを送ってくださらない?宅のが柔らかくゆでて細く切るのに凝っちゃって。手ぬぐい送るから。」
「うちの子ったらほんっとにいうこと聞かないんだから」
「ご赦免のお礼にお役人の方になにを送ったらいいかしら」
「ほうぼうへつけとどけがたいへん」
などなど、手紙から伺える「りく像」はほんとうに「ふつう」なんですね。
ほんっっとに、ふつう。
ふつう美。
安兵衛や内蔵助といった、突拍子もない事をして世間を騒がせた人物を、稀代の役者が演じるのは、我々にその生き様を翻訳するのに有益ですが、りくさんの「ふつう美」を大御所の女優がどっしり演じるのは、どうにも嘘くさい。
りくの生涯を描いた「花影の花」の著者、平岩弓枝先生は、こう言っております。
「まるで小春日和の中に身をおいてるような、ごく平凡な一家を、とつじょ赤穂事件が破壊した」
「豊岡と大石内蔵助夫人」の内海定次郎(うつみさだじろう)先生いわく
「世の不条理に泣き、愛する肉親との多くの別れを経験して強い女に変えていった」
じゃあ
誰なら、ふつうで、でも強く生きた「りく」を演技という形で体現できたか。
結論として
八千草薫さんを一等賞に選ばせていただきました。
…といって、ここで、「花影の花」出版の2年後に舞台化された、日生劇場、東宝特別公演のときのパンフレットから抜粋した八千草さんのおしゃしんドーン。(見てない作品の似顔絵は、基本描かない)
あたしが手紙からイメージする「りく」像のイメージを崩さず、見事に小説にまとめられた平岩弓枝先生自らが、それを原作とした芝居の脚本をお書きになったので、先生納得のキャストだろうし、これは良い着地点ではないかと。
今後、りくさんをイメージするのにお役立てくださいませと。
さて
看板にございます「勝手な男とシングルマザー」
勉強中のわたしのところに、担当の観光協会Hさんから講演の2ヶ月前に「広告の関係で、とりあえずタイトルをくれ」と。
そこで表題のようになったのですが、資料を読むと、内蔵助×りくは意志がピッタリ合った「一如(いちにょ)」だと、「豊岡と大石夫人」にもあるとおり、めちゃくちゃ仲が良いんですね。
勝手な男と言っても、パチンコ行ってくると言って出て行ったきり帰ってこないようなヤカラとは違うわけです。
当初あたしは、元禄のシングルマザーと令和のシングルマザーを比べてみて、そこからなにかを探ろうと思い、後輩のシングルマザーにインタビューをこころみました。
しかし、大罪を犯して死罪になり、その後「義士」と讃えられる夫を持つ未亡人なんて、早々見つからないんですよね。
というわけで、ふつうのシングルマザーにいろいろ伺いました。
▲協力してくれた後輩に感謝。
ひとり親家庭への助成制度はもちろん豊岡にもありますが、東京の後輩の例で失礼致します。
ま、知識も無いのに制度についてアレコレあたしが一席ぶってもアレですが、とにかく扶養手当が出ましたり、ほかにもおむつの支給であったり、有料ゴミが無料になったり、医療費の助成や、子供さんの受験も支援の貸付事業があったりします。
インタビューした後輩の息子さんは今度高校受験のお年ごろ。
「泣いてるヒマはない」と、独りでがんばる母の姿を見ては
「ああ、お母さんのくちびるにできてる帯状疱疹は、俺を育てる苦労のせいだ。」
と、そう思ってくれてるそうで、現在、禁マン禁ゲーでたいへん勉強をがんばってくれているとか。
この後輩のように、飲み屋さんで働いて申告しないで手当を受け取るという(←空想のたとえばなしです)ことをしてまで、がんばるお母さんとは別に、実家に帰るパターンもありまして、りくさんがまさにソレ。
今回、赤穂から駆けつけてくださったマエカワマサミさんと、講演前夜に名店「バラッド」で一杯やりながら「出戻りのほうが生活が楽」と、人の苦労も知らずに盛り上がりましたが、りくさんの郷里、ここ豊岡では実家のお父さんは藩の重役。
生活のご苦労はとりあえず無かったとお見受けいたします。
ただ、長男・主税の自害を含め、残った4人のお子さんのうち2人も病気でお亡くなりになってたいへんお気の毒なお母さん。
そんな折の朗報が、末っ子・大三郎の、芸州広島藩への就職決定のニュースです。
(大三郎は、吉良邸討ち入りの翌年に誕生。就職は12歳で。)
ここで、りくさんはお父さんも亡くなったし、郷里・豊岡を離れて広島に引っ越しするんですが、こっからがまた、なかなかたいへん。
「義士の息子」と鳴り物入りで広島に迎えられた大三郎さんでしたが、ゲームを断ってまで勉強に勤しんでいる後輩の息子とは違い、受験も就活も知らずとんとんびょうし。
ところが、スピード離婚を2回も繰り返すなど、私生活がおちつかない。
顔を観たこともない、父と兄の名声の余りにものデカさをプレッシャーに感じて、性格までネジ曲がってしまったか…!?
ウィキペディアには、その性格について辛辣なことも書いてある。
元・高家筆頭の老人の屋敷に、徒党を組んで夜襲をかけるという人生のいっぽうで、事件に振り回されて、義士であり大罪人である身内として生き続けるところに、りくさんの壮絶なドラマがあります。
さて最後に、あたしね、
講演に呼んでいただけたら、今後毎回、「忠臣蔵的、我慢のコツ」を唱えてまとめようと思ってまして、先回吉良さんの時はそのスルースキルを紹介しましたが、今回はりくさんと大石内蔵助のメールのやり取りから。
内蔵助はりくさんが大三郎の出産を喜んで、近況を述べたあとに日常の苦労を愚痴り、こう結びます。
「とかく因果のめぐり合わせと思うようにしています」
なんでこんなつらい目に合わなくちゃいけないんだ?
というときに、人智を超えた因果の巡り合わせであると考えることで、とにかく正気を保っていられます。
おいでいただいた瀬戸谷先生のご家族はクリスチャンでいらっしゃいますが、浅学なあたしにも旧約聖書のヨブ記は印象的でして、神の思し召しであるという考え方に、なにか共通したものを感じます。
これでずいぶん目の前の難儀に対して前向きに対応していこうとなるものであります。
▲約70名のキャパのほとんどが埋まって幸福。
さて近年、
「吉良さんっていう人はじつは良い人だったらしいですね」
というような、忠臣蔵にまつわるアレコレが、昔といろいろ変わってとらえられてきてる昨今。
りくさんは、どうか。
これが「決算!忠臣蔵」にいたるまで、りくさんはりくさんなのであります。
ちゃんとした、女性。
それがりくさん。
まず、エンターテインメントで、「大石りく」は、どう作られてきたか。
つまり、そのキャラクターは、どう捉えられてきたかを振り返ります。
有名な登場シーンといえば、まずは講談(や、それをもとにした映画など)の「山科の別れ」が有名どころ。
これから、だいそれたことをしようと計画している大石内蔵助から、家族は形式的、表面的な離縁をされるんですね。
▲絵本「早わかり忠臣蔵」より
この、絵本の絵を描いた時のりくさんの表情は、決心を秘め、「あとのことはまかせろ」とアイコンタクトで夫にエールを送ってるようなイメージで描きました。
明治時代の研究本「豊岡と大石内蔵助夫人」によれば、りくが眠る広島国泰寺(こくたいじ)の墓誌(エピタフ)に貞女、淑女、自己犠牲、良妻賢母の模範みたいに書いてあるそうで、ま、とにかくちゃんとしたマジメな女性であるイメージは、まちがいないと。
凛としたイメージです。とにかく。
で、りくさんをモチーフにした、人形浄瑠璃や歌舞伎で有名な「仮名手本忠臣蔵」の「おいし」。
…あ、ちなみに、明治&大正期の講談本では、大石内蔵助の妻は名前がはっきりしないとしてあり、おいし(あるいはおせき)が有力とも言っている。名前からして、身持ちも硬いの硬くないの。などと紹介していますな。
仮名手本忠臣蔵の九段目。自分ちの息子との婚約を破棄した相手、元フィアンセの小浪ちゃんと、その義理の母・戸無瀬たちと口論。
おいしは、彼女たちに「破棄した婚約を取り消してほしかったら」と引き出物を所望。
「この三宝へは、加古川本蔵(小浪の父親)どのの、お首を乗せてもらいたい」
と、サディスティックなことをいうキャラになっています。
そして今度は映像メディアにおける、これまでりくさんを演じた女優をふりかえってみて、ああだこうだと、作品と演じられぶりに触れます。
たとえば、竹下景子さんや「峠の群像」の丘みつ子さんなんかは、ガミガミ奥さんな雰囲気もございましてな。
そして、もりいくすおが選ぶ、ベストりく女優トップ3。
かいつまみましたこのように…
忠臣蔵が引退作品になった、原節子さん。
なにもかもグッとこらえて耐え忍ぶ姿は、武家の娘として非常に重みがあっていいんじゃないか。
大柄だと伝えられるプロポーションも再現出来ているかと。
ただ、原さん、あまりにも台詞が少なく、存在感が希薄。
そこで、2位の山田五十鈴さんに水を開けられる。
山田さんは、映画やテレビで大石りくを演じており、(関係ないけど「必殺シリーズ」でも、りく)演技力と存在感で申し分のない出来栄え。
ところがですね、山田さんの私生活、男性遍歴を見ますと、芸のためとはいえ、りくさんを演じるのにはちょっと、アレかなと。
そこで堂々の第1位は、大竹しのぶさん。
後述いたしますが、今回資料として読みふけった、地元豊岡の考古学者・瀬戸谷晧先生の著書「忠臣蔵を生きた女」によると、りくさん、ひじょうにふつうの奥さんなんですね。
するとやっぱり、山田五十鈴というようなビジュアルよりも、大竹しのぶさんのあっさり感(演技は熱いけど)が、イメージに近いんじゃないかと。
ちょっと横道にそれますが…
りくさんは、「くすや」でたいへんお世話になってる研究科・三左衛門さんによると「内蔵助や安兵衛とまではいかないまでも、彼女の手紙がたくさん発見されている」ということで、特に、赤穂事件のあとの関係者の消息について知るのに、有力な資料となっているとか。
くだんの名資料「忠臣蔵を生きた女」には、りくの手紙がたくさん紹介されていますが、その内容には
「辛味大根とおそばを送ってくださらない?宅のが柔らかくゆでて細く切るのに凝っちゃって。手ぬぐい送るから。」
「うちの子ったらほんっとにいうこと聞かないんだから」
「ご赦免のお礼にお役人の方になにを送ったらいいかしら」
「ほうぼうへつけとどけがたいへん」
などなど、手紙から伺える「りく像」はほんとうに「ふつう」なんですね。
ほんっっとに、ふつう。
ふつう美。
安兵衛や内蔵助といった、突拍子もない事をして世間を騒がせた人物を、稀代の役者が演じるのは、我々にその生き様を翻訳するのに有益ですが、りくさんの「ふつう美」を大御所の女優がどっしり演じるのは、どうにも嘘くさい。
りくの生涯を描いた「花影の花」の著者、平岩弓枝先生は、こう言っております。
「まるで小春日和の中に身をおいてるような、ごく平凡な一家を、とつじょ赤穂事件が破壊した」
「豊岡と大石内蔵助夫人」の内海定次郎(うつみさだじろう)先生いわく
「世の不条理に泣き、愛する肉親との多くの別れを経験して強い女に変えていった」
じゃあ
誰なら、ふつうで、でも強く生きた「りく」を演技という形で体現できたか。
結論として
八千草薫さんを一等賞に選ばせていただきました。
…といって、ここで、「花影の花」出版の2年後に舞台化された、日生劇場、東宝特別公演のときのパンフレットから抜粋した八千草さんのおしゃしんドーン。(見てない作品の似顔絵は、基本描かない)
あたしが手紙からイメージする「りく」像のイメージを崩さず、見事に小説にまとめられた平岩弓枝先生自らが、それを原作とした芝居の脚本をお書きになったので、先生納得のキャストだろうし、これは良い着地点ではないかと。
今後、りくさんをイメージするのにお役立てくださいませと。
さて
看板にございます「勝手な男とシングルマザー」
勉強中のわたしのところに、担当の観光協会Hさんから講演の2ヶ月前に「広告の関係で、とりあえずタイトルをくれ」と。
そこで表題のようになったのですが、資料を読むと、内蔵助×りくは意志がピッタリ合った「一如(いちにょ)」だと、「豊岡と大石夫人」にもあるとおり、めちゃくちゃ仲が良いんですね。
勝手な男と言っても、パチンコ行ってくると言って出て行ったきり帰ってこないようなヤカラとは違うわけです。
当初あたしは、元禄のシングルマザーと令和のシングルマザーを比べてみて、そこからなにかを探ろうと思い、後輩のシングルマザーにインタビューをこころみました。
しかし、大罪を犯して死罪になり、その後「義士」と讃えられる夫を持つ未亡人なんて、早々見つからないんですよね。
というわけで、ふつうのシングルマザーにいろいろ伺いました。
▲協力してくれた後輩に感謝。
ひとり親家庭への助成制度はもちろん豊岡にもありますが、東京の後輩の例で失礼致します。
ま、知識も無いのに制度についてアレコレあたしが一席ぶってもアレですが、とにかく扶養手当が出ましたり、ほかにもおむつの支給であったり、有料ゴミが無料になったり、医療費の助成や、子供さんの受験も支援の貸付事業があったりします。
インタビューした後輩の息子さんは今度高校受験のお年ごろ。
「泣いてるヒマはない」と、独りでがんばる母の姿を見ては
「ああ、お母さんのくちびるにできてる帯状疱疹は、俺を育てる苦労のせいだ。」
と、そう思ってくれてるそうで、現在、禁マン禁ゲーでたいへん勉強をがんばってくれているとか。
この後輩のように、飲み屋さんで働いて申告しないで手当を受け取るという(←空想のたとえばなしです)ことをしてまで、がんばるお母さんとは別に、実家に帰るパターンもありまして、りくさんがまさにソレ。
今回、赤穂から駆けつけてくださったマエカワマサミさんと、講演前夜に名店「バラッド」で一杯やりながら「出戻りのほうが生活が楽」と、人の苦労も知らずに盛り上がりましたが、りくさんの郷里、ここ豊岡では実家のお父さんは藩の重役。
生活のご苦労はとりあえず無かったとお見受けいたします。
ただ、長男・主税の自害を含め、残った4人のお子さんのうち2人も病気でお亡くなりになってたいへんお気の毒なお母さん。
そんな折の朗報が、末っ子・大三郎の、芸州広島藩への就職決定のニュースです。
(大三郎は、吉良邸討ち入りの翌年に誕生。就職は12歳で。)
ここで、りくさんはお父さんも亡くなったし、郷里・豊岡を離れて広島に引っ越しするんですが、こっからがまた、なかなかたいへん。
「義士の息子」と鳴り物入りで広島に迎えられた大三郎さんでしたが、ゲームを断ってまで勉強に勤しんでいる後輩の息子とは違い、受験も就活も知らずとんとんびょうし。
ところが、スピード離婚を2回も繰り返すなど、私生活がおちつかない。
顔を観たこともない、父と兄の名声の余りにものデカさをプレッシャーに感じて、性格までネジ曲がってしまったか…!?
ウィキペディアには、その性格について辛辣なことも書いてある。
元・高家筆頭の老人の屋敷に、徒党を組んで夜襲をかけるという人生のいっぽうで、事件に振り回されて、義士であり大罪人である身内として生き続けるところに、りくさんの壮絶なドラマがあります。
さて最後に、あたしね、
講演に呼んでいただけたら、今後毎回、「忠臣蔵的、我慢のコツ」を唱えてまとめようと思ってまして、先回吉良さんの時はそのスルースキルを紹介しましたが、今回はりくさんと大石内蔵助のメールのやり取りから。
内蔵助はりくさんが大三郎の出産を喜んで、近況を述べたあとに日常の苦労を愚痴り、こう結びます。
「とかく因果のめぐり合わせと思うようにしています」
なんでこんなつらい目に合わなくちゃいけないんだ?
というときに、人智を超えた因果の巡り合わせであると考えることで、とにかく正気を保っていられます。
おいでいただいた瀬戸谷先生のご家族はクリスチャンでいらっしゃいますが、浅学なあたしにも旧約聖書のヨブ記は印象的でして、神の思し召しであるという考え方に、なにか共通したものを感じます。
これでずいぶん目の前の難儀に対して前向きに対応していこうとなるものであります。
手紙のごようすから、大石内蔵助という人物も、三船敏郎のような臨戦態勢ではなかったのかもしれません。
という感じの1時間でした。
講演の終わりに、「りく鍋」が振る舞われ、みんなで舌鼓。
労をねぎらってくださったご参加のご婦人からお菓子など恵んでいただいて、幸せな時間でございました〜。
という感じの1時間でした。
講演の終わりに、「りく鍋」が振る舞われ、みんなで舌鼓。
労をねぎらってくださったご参加のご婦人からお菓子など恵んでいただいて、幸せな時間でございました〜。
2017年の豊岡ルポはこちら。