2016.12.16 Friday 08:40
安兵衛真観完成(その2)
堀部安兵衛の生誕の地、新潟県新発田「清水園」内
「伝承館」さんに掲げ
堀部姓時代がやっとコンプリートいたしましたーっ!
2016年12月14日討ち入りの日にお披露目!!!!
実際は80×90センチという大きさの絵ですが
以下、全5作品をサムネにて解説とともにご紹介。
7.浅野家家臣・堀部弥兵衛の婿へ
講談や映画では八丁堀に住んでいた安さん。
史実では牛込に住んでいたそうです。
高田馬場での活躍が、赤穂浅野家の堀部弥兵衛の目に止まり、ぜひ婿に入ってほしいと日参され拝み倒される安兵衛の図です。
能筆だった安さんは本郷にある入れ歯やさん「かねやす」の看板のロゴを担当した。畳の上に散らかっているのは、泉岳寺にも飾られているその看板の下書き、という設定。
長屋の様子や小道具は筑波のワープステーション江戸や、日光江戸村、深川江戸資料館などで取材いたしました。
8.殿刃傷!即日切腹と浅野家改易
お殿様の松乃大廊下の事件には立ち会ってない安さんには回想のようなカタチで構成しております。
よほど貸衣装で直垂を調達しようとも思いましたが、あちこちのドラマを参考にして描くことにいたしました。
著作権の問題があるのでだいぶアレンジし、どの映像作品でもないカタチに落ち着かせたつもりですが、梶川与惣兵衛の顔だけは誰かに似ているようであります。
内匠頭は乱心に見えたり、乱暴者に見えたりしないよう、ちょっと涙目で「もうっ!」という表情を心がけ、吉良上野介は若いころはなかなか美男子だったということで、鼻筋をキレイにしました。
9.殿様の仇討ち計画を密に進める
お家が改易となり、討ち入り計画を密かに進める浪士たち。
中でも安さんは最右翼の急進派です。
絵は、長江長左衛門と名を変えて道場経営をする傍ら、けっこうコネの多い安さんが学者の細井広択などと会って密書を交わしているイメージです。
そばでナタマメを無邪気にくわえようとしている子供は安兵衛の実子、安之助のイメージです。
安兵衛の子供については彼の直筆の手紙にその存在が記されておりまして謎も多いのですがリクエストにより絵に入れました。
ナタマメは討ち入りの夜に弥兵衛の奥さんがメンバーにふるまったという逸話を元にあしらっております。
さて
時代劇の道場といえば神様の掛け軸が定番でたいがいは「天照大御神」だとか「八幡大明神」を中央に、両サイドに「香取」「鹿島」の大明神の掛け軸が武道の神様ということでぶら下がっておりますが、この絵では馬庭念流の「摩利支天」になっております。
実際はこのように大きな道場ではなく、「必殺忠臣蔵」にあるようにせいぜい長屋をぶちぬいたくらいの大きさの道場ではなかったかとは、山三さんの談です。
尻餅をついた弥兵衛をかばい「大事ありませんか親父殿!」と安兵衛が声をかけると「ばかもの!立って相手をするまでもないから座って戦っていたのだ」」と強がる弥兵衛。映画でお馴染みのイメージを描きました。弥兵衛のモデルは武道にも長けてる講談師の若林鶴雲先生です。いろいろアドバイスを頂きました。
10.赤穂四十七士 吉良邸へ討入り
尻餅をついた弥兵衛をかばい「大事ありませんか親父殿!」と安兵衛が声をかけると「ばかもの!立って相手をするまでもないから座って戦っていたのだ」」と強がる弥兵衛。映画でお馴染みのイメージを描きました。弥兵衛のモデルは武道にも長けてる講談師の若林鶴雲先生です。いろいろアドバイスを頂きました。
鶴雲先生には吉良邸の用人のポーズもやってもらっていまして、安兵衛以外は先生のワンマンショーとなっております。
安兵衛の髷をほどいた長い髪は撮影をやってくれたMさんのもので、剣豪の髪にしてはつややかで手入れの行き届いた感じに仕上がっております。
11.安兵衛切腹 吉良家にも処分有
最後の絵は切腹の前に落ち着いている安兵衛のイメージです。
辞世の句をあしらっております。
左の肩に、故郷に残した松の木にちなんで、松の葉を落としました。
絵を掲げているところを新潟日報さんが取材してくださって記事にしてくださいました。
ありがとうございました〜!甲斐がございました〜!
新潟県新発田にみなさま
どしどしお越しくださいますよう。