ひろしま忠臣蔵(2)
夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。
早2便は
「菅谷半之丞さんの潜んでた庵の跡(の碑)」
これを訪ねます。
さ〜これがクセモノで、
東京にいる間にストリートビューで確認したものの
まったくそれらしいようすが出てこない。
検索すると出かけた人が
「菅谷半之丞の遺跡」とある柱みたいなものの画像をアップしてくれている。
だから、あることは、あるのだろうと思う。
前回のブログでも申し上げたが、大概の人は目的地に到達するとみな同じようにターゲットそのものだけを撮影するので周囲の状況がわからないことが多ございます。
▲AとBについては後述。
鳳源寺(ひろしま忠臣蔵(1)ご参照ください)を後にしてこれまたわかりやすい道のりをストレートに移動できた。
が、とにかく暑い。
時間は昼すぎ。一番外出しちゃいけない時間だ。すれ違う人もまばらで、もし自分がこの見知らぬ土地でぶっ倒れたらどのくらい経ってから見つけてもらえるだろうとかそういうネガティブな考えばかりが浮かぶ暑さ…なのだとご想像願いたい。
まず、めでたく到着したのは、事前にストリートビューで確認しておいた案内の立て看板。
さあ〜て。
▲「甲斐庵250m」とあるが…
この矢印がAを指してるのかBを指してるのかわからない。
東京で事前に忠臣蔵友達の山三さんとAさんとで「どっちだろう」と3人で推理した。(in三田のガスト)
菅谷半之丞は瑤泉院の地元であるこの三次に移ってしばらくここいら辺にあった「甲斐庵」というところに潜んで毎日、釣りばかりしていたという。
で、その伝説が生まれるというくらいだからやはり川沿いであろうと相談がまとまった。
つまりAである見込みが高いと。(画像左は川である)
250mなら楽勝!
かと思ったが…
無い。
もうとっくに250メートルは歩いたろう。
広島の250メートルって300メートルなのか!?
▲川べりを歩いてたつもりがいつのまにか山道に。
引き返し、Bにルートを変えてみる。
やっぱり無い。
▲どっかのサイトで見たときは碑の背景はうっそうとしていた。
この先は整備されてるし・・・
それより先に行こうものならそこはもはや250メートルではない。
もしかしたらなにか事情があって
碑を引っこ抜いたのかもしれない?
(曹渓寺さんが寺坂吉右衛門の案内を撤去したように)
東京でアレコレ相談してた時「あまりに埒が明かなければ地元の人に聞いてみますよ」と私はうそぶいた。
しかし、人がいない!
こんなクソ暑いさなかにふらふら表に出てくる人などいないのであります。
知らない民家の呼び鈴押して尋ねる気力がない・・適当な店も無い。
こっちはもう水を浴びたようにびっしょり汗をかいている。体が健気にも体温調節をフル稼働で頑張ってくれてるのだ。マメに水を飲む。
ただ、これで「なにも見ない」で引き返したとあってはいくらヘタレ巡礼者といえどもあんまりなので三次観光協会に電話してみた。
もりい「東京から来てるんですが三次の赤穂義士ゆかりの地に菅谷半之丞の甲斐庵の跡というのがあると思うんですが」
かかり「三次は忠臣蔵の殿様の奥方様の遺髪塔でありますとか、義士堂みたいなものが…」
もりい「それは鳳源寺ですよね、いま行ってまいりました。
川っぺりにね、甲斐庵まで250メートルって看板があるんですよ」
かかり「はあ」
もりい「でも看板の前の道が二手に分かれてまして」
かかり「すみません少々お待ちください」
(そして)
かかり「すみません、わかるものが今日はおりませんで…
なんでも教育に依るものだそうでございまして(<ここママ)」
ぎゃふ〜〜ん!
観光協会も知らないって、なんだよぉ!
そんなにマイナーなのかよぉ!
とぼとぼ帰る道すがら目に飛び込んでまいりましたのはこちら。
半之丞サマの祭りがあるんじゃねえか!
どまんなかには大石様の家紋!
マイナーなのかメジャーなのかわかりません。
さて
碑が見つからなかった件をSNSでつぶやきますと、ありがたいことでございます。
出かけたことのあるお友達が情報をくださいました。
特に忠臣蔵問屋のわたやさん!
ありがとうございました!
便利な世の中ですな!
でもそれ、ホテルに帰ったあとで確認いたしました…
いっぽう
街はお祭り模様。
▲きんさい祭り
たまたま地元は「きんさい祭り」
(地元の会社や学校などからの参加者が「鼓おどり三次どんちゃん」の楽しいリズムに合わせてパレードをしたりそこかしこにおいしいお店が出る市民まつり。)
パレードをうつろに見て焼け酒を煽りながら思いました。
「明日、帰る前にもう一回行こうっ!!!」
ここのところが今朝、落合さんのお墓を見ないで帰った甘さをなんとなく反省した感じです。
▲会場に鎮座していた天神様。
三次人形といえば天神様。
浅野長治が人形師に土人形を作らせたのが起源
という伝説がございます。
<翌日>
朝8時にチェックアウトし、なにしろ電車が数時間に一本しかないので行きはタクシーで現地へ。
散策後、駅に着けばちょうど電車が来るという時間を見計らった。
運転手さん「東京からそういう人が来てくれるのは嬉しいですねえ。
半之丞まつりっていうのもあるんですよ。寺戸というんですけれども」
もりい 「あ、横断幕がかかってるのを見ました」
運転手さん「でしょ?あと、半之丞が釣りのときに腰掛けてた岩っていうのもあるんですよ。
(川を越えながら)ああ、ここからじゃ見えないなあ」
こちら、観光協会さんより詳しいじゃありませんか!?
もりい 「甲斐庵跡という碑があるそうなんですよね」
運転手さん「それは知らないなあ〜」(<以上を広島弁で)
あるのか!?
碑!
さあて
先輩のアドバイスによると?
どうも、ちょうど前日引き返した場所が、まさにポイントだったとか。
250mを思い知る体内メーターはなかなか正常に働いております。
(上記画像「やっぱり無い」のもりいの背後の道を左に入るのが正解)
▲あれか??
んあ!?林の中に何となく見える…
あれか!?
あれなのか!?
カーブしたゆるくほそい坂道(わかるかよっ!)を降りて行くと、ありましたぁ〜〜〜〜!
▲お会いしとうございましたぁ!
まずは汗だらけの顔に蜘蛛の巣がビシャーっ!
そんなことはかまってられない。
うれしくてもう。
耳元で昆虫がぶんぶんうなり、足元には胴体を誰かに持って行かれたカブトムシの死骸。
半之丞様!
あなたこんなところに潜伏してらっしゃったのですか!
さぞや蚊帳は上等をお使いだったことでしょう。
さわやかなキモチで甲斐庵跡をあとにして、タクシーの運転手さんに教えてもらった
「半之丞が釣りをしてたときに腰掛けていた岩」
なるものを探そうと川べりを歩き出す。
手がかりは「橋から見えないほどの距離」(笑)。
いわれた方角にたしかに、岩、あり!
▲でも岩、いっぱい、あり!
ンまぁ、ここいらへん全部の岩から岩を渡って釣りをなさっていたのでしょう。
渓流釣り。友釣りとかね。
引き船にオトリアユを入れて、アユ釣り。
岩魚、ヤマメ、アマゴ等の収穫があったことでしょう。
…といった感じのおじさんがいらっしゃいました。
あたしがアニメで半之丞さんを描くときはルアーしていただきます(笑)。
さて、タクシーで来たときに、思いのほか早かったんでこりゃ電車に乗らなくても余裕で帰れるなと判断(電車のほうが遠回りかと)、気分を良くしたもんだから知らない土地を歩いて尾関山から三次まで歩きました。(今思えば、なぜかナビを使ってないんですな。いろいろ頭がおかしい中、土地勘は冴えてる)
たまたま途中にとおりかかった辻村寿三郎人形館。
私たち世代には「新八犬伝」の人形劇で有名なジュサブロー先生は瑶泉院様も作ってらっしゃると聞いておりますので、開いてたら、見られたかもなのだよなあ。
リサーチ、甘いよなあ!
うだつのよく似合う街三次をあとにして、何度も水を飲み、頭にかけ、無事到着。
日本ってそこかしこに自販機があるからホント好き!
芸備線内でそそくさと肌着を取り替えて、いざ広島へ。