ひろしま忠臣蔵(3)
夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。
最終回は
「国泰寺(こくたいじ)。大石りくさんのお墓参りと、ご本家のお墓参り」
「明星院さんの赤穂義士木像」
これを広島市内にて見たくておでかけ。
帰りの新幹線は15時過ぎだから、午前中に半之丞さんの甲斐庵を見ておいて正解。
タクシーに乗せてもらえばいくらか遠いところでもへいちゃらだろうという見込み。
まずむかうのは大石りくさんとご本家のお墓がある国泰寺。
▲広島駅からJR山陽本線で西広島駅へ。
(余談も余談だが、この電車は我が母校元学長・榮久庵憲司先生デザインによるJR西日本227系)
駅前のタクシーに乗ると老人の運転手さん。
「こんにちわ〜」
と、社内に乗り込むと
暑い!
なぜかエアコンが弱い!
ご老体を気遣って私はなにも言わなかったが
発車してまもなくハタと気づいてくれて?冷房を強くしてくれた…。
最初この運転手さん「国泰寺までお願いします」とあたしが言っても黙ってるからどうしたのかなと思ったら「こくたいじ」という「ばしょ」もあるそうで、どっちか考えてらっしゃったようで「寺のほうですね」ということで確認をとった。
「己斐上(こいうえ)の国泰寺と言ったらいいです」
だそうですよ、みなさん。
▲連れてってくれたJ谷さん。
今朝の道程に(<ひろしま忠臣蔵(2)ご参照ください)歩くのに自信がついていたので、なんなら徒歩でもいいんじゃねえかなどと思っていたのだが、無知はこわいですな。国泰寺は山の中腹にあり、もしこの炎天下に昼飯抜きで登山を決行していたらまちがいなく芸州広島がもりいくすお終焉の地になっておりました。
運転手さん「五月が丘行きというバスも出てますからそれでも行けます」
もりい 「そうですかぁ。じゃあバスでもよかったかもですな」
カーブの続く山道の途中にバス停を見かけるが、路端にのざらしのバス停サインがぽつんといてあるだけ。時間は正午。ここでいつ来るかわからないバスを待たないほうが無難である。
タクシー大正解。
自分が忠臣蔵が好きでお墓参りに来た旨を伝えると帰りの足を気遣ってくれて
「それなら時間を決めて、また来ましょうか」と言ってくださった!なんとおやさしい運転手さん!
おねがいします!
さて
国泰寺さんには駅から約料金1600円位で到着するもお寺。これがでかい!
▲竜宮城か!?
寺務所はどこでしょうなあ。と、敷地内を何度もぐるぐる・・・
もりいが「たぶんいまのところ…」と言った建物(正解)を通りすぎてぐるぐる回る探す運転手さん。
(これで1600えんになった。かえりは1300えん)
ともかく適当なところで降りまして、40分後に駐車場で集合時間を決めました。
しかし、「また来ましょう」と言っても運転手さん、一旦下山してひと商売してから上がってくるなんていうことを40分以内にできるわけがない。待っててくれてるに違いない。
それは申し訳ない。
早くすまそう。
あたしが狙いをつけてた建物はまさに寺務所で、お墓の場所を聞いてみると
「あの、ちょうど車が止まっているでしょう。あそこです」
と、遠くを指差す。
▲ここのこと
とお!
すげえなあ!なんだか!
こたびのお参りはいちいち一筋縄ではいかん!
お礼を言って大石内蔵助夫人の墓所へ。
見晴らしがすばらしい場所でございました。
▲末っ子・大三郎さんと眠っておられます。
▲赤穂義士追遠塔
この一帯が浅野家のお墓なのだそうでございますが、さあ〜浅野家のお殿様のみなさま、どれがどなたのお墓やらわかりません。
そして昨日の曇天と打って変わって容赦なく照りつける太陽!
…退散。
申し訳ございません。
▲みなさまお安らかに。
お参りもそこそこに、予定より20分早くJ谷さんのもとへ。
「もう済みましたか」
なにかお礼をしなくちゃいけないなあと思ったが
「そんなのはいいです」
と、おっしゃる。
ちょうど昼飯時だったんでご飯に誘おうかと思ったが白島(はくしま)のご自宅でいつも昼食を取るという。
いろいろかんがえたが帰りは1300円ほどだったのでとりあえず2000円出してお釣りをキープしていただいたが、千円包んだら良かったかなあともやもやする。
広島に戻り、今度は徒歩圏内という明星院に義士像を見に行こう!
これが最後のミッションだ。
昨日、今日とタクシーが当たりなのでもう徒歩圏内かなんか知らんが、迷わず広島駅前でタクシーに乗車。
さてもさてもこの運転手さん、明星院を知らない。
スマホで地図を見せようとしたら
「そんな小さいのじゃわかりませんから。住所は?」
小さいかでっかいか、チラッとでも見たらどうなんだろうか??拡大もできるんですけど。
必死にウィキって住所をチェックするわたし。
なんで慌ててるかというと、この運転手さん行き先がわからないくせにもう賃走スイッチを入れてるのだ。
こんなの東京じゃちかごろあり得ない(個人の見解です)。
場所を確認してすぐ「目的地周辺」に到着するも明星院が無く、彼が地図を見て独断で予想した未発表の推測に基づいて饒津神社(にぎつじんじゃ)境内に突入。
どこなんだよ!ここは!
▲おじゃましました
神社の駐車場に停める運転手氏。
もりい「じゃあちょっと歩いて探してみますわ(降りたい)」
運転手「地図で見るとこの先って言うことなんですよねえ」
と言って地図を見る。
まったく動かないタクシーの中で、料金が510えんから670円に上がった。
さてこの明星院さん、たしかになかなか難易度が高く、自分一人で出かけたとしても似たような迷い方はしていたと思う。
仕方ないからお賽銭のあと二礼二拍手一礼して神社をあとにし、見当を着けた方へ歩き出す(地図A方向)のだが視界に入る道のりにまったく寺院らしきものが確認できない。
(浅野長勲の碑がありました。芸州広島藩最後の藩主。
実はこちらは浅野長政、幸長、長晟三公と長勳を祀る神社だそうです。拙サイトが、俗書フィクションを取りざたしておりますかかわりで、以上の展開の失敬すみません。)
で!
ここで初めて
「あっナビがあんじゃん!」とさっき出した住所を入力してスマホをペシペシ。
徒歩2分。近い!
▲こっちに行けと…
▲こっちに行けと…
「・・・・・」
いささか不安でしたが
あったには。ありました!
ていうか
裏?
これ超わかんないよぉ!
▲ご本堂
こちらも広くてですね。
で、
「義士堂」みたいなものがあるのかしらと想像してたんですがそれらしいものがまったく見当たらず、案内図があったんで見てみると義士堂的なものは記されていない…。
▲案内図
さらに寺務所も見当たらず、敷地内をカンカン照りの中ウロウロ探しても手がかりもなく…
本堂で檀家さんがご法要をしてらっしゃるのでこれが終わるのを待とうと、もはや関係者は今お経を唱えてるあの人しかいないと中を覗くと、ああ!中に義士のみなさまがいらっしゃる〜!
セミとお教のセッションを聴きながら待つこと約10分。
ご住職らしき僧侶に事情を説明すると二つ返事で了承。ろうそくとお線香を持ってあがる。
表門隊と裏門帯の2グループに分かれて本堂内部の左右にご神体を挟むように別れて安置されてる義士の皆さま…にまぎれてなぜか天野屋利兵衛も鎮座している(それもセンター)。ご本堂の画像はアップに気が引けますので、これもどちらさまが撮影しても同じなのでご興味のある方は「明星院 義士」でご検索くださいませ。
…愛嬌のある天野屋利兵衛さんだけアップいたしまする。
明星院様には平にご容赦にあずかりとう存じます(*´ω`*)。
▲天野屋さんは表門グループとご一緒。
表門:山田伊佐郎さん作。裏門:岩田彦四さん作。in 明治。
原爆投下から2km弱のところではあるが戦火を逃れた木像。
で、あれですな。こうした旅ではチャッカマン持って歩かないとダメですな。開けっぱなしのお堂の中は風が入ってマッチの火が消えてしまう。
義士像の前にろうそくがあったのでそれに火を灯してお線香に火をつける。
ご住職はあたしを勝手にさせて「ろうそくの火は消してってくださいね」と言い、出て行ってしまった。
きさくな方である。
江守徹似のりりしい安さんにお別れをして、ここに来たときわたしは本堂の背後からやって来て横から入ったが、こんだ正面から出て行った。
▲正面。本来ならこの総門が迎えてくれます。
画面右に木像のポスターも見切れてる。
そしたら駅前の二葉通り(駅前通り)はすぐだった。
駅から行く場合は画像のところ(二葉の里1丁目2番の信号)で右に折れてください。
そうして私はそのまま徒歩で広島駅へ。構内のお蕎麦屋さんで涼む。。
▲駅前の二葉通りを左に行ったら、ここを右折。
さて
いかがでございましたでしょうか。
以上をもちまして聖地巡礼漫遊ぶらり忠臣蔵、芸州広島篇。お開きとさせていただきます。
ま〜
なんと言いましょうか、三次の観光協会さんや広島のタクシーさんのようすから忠臣蔵離れが相当なところまでいってるなという実感。
知ってる人がいたり、いなかったり。
それでもそこかしこに「有る」という事実。
たまらないアンバランスであります。
義士の皆さんは今も人知れずケイパーな潜伏が続いてるということでしょうかな(笑)。
▲お好み焼き、食べなかったなぁ。
これにて大尾。
ずいぶんとごきげんよろしゅう。
ひろしま忠臣蔵(1)