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安兵衛さん分骨始末記

 

 


堀部安兵衛さんの生まれ故郷、新潟県は新発田の菩提寺・長徳寺のご住職から「安兵衛さんの移骨があるので参列を」と、お誘いいただいた。
「喜んでうかがいます!」
と二つ返事はよいけれど…

「移骨」ぅ????

四十七(四十六)士が望んで入った泉岳寺。
みなさんが揃っていてこその泉岳寺でありましょうに、「里帰り」とな!?
いろいろなモヤモヤが渦巻きました。

そしたら次のメール(だったかSNS)の表記に「分骨」となっていたので胸をなでおろした次第。
(でも「移骨」とお口走りになられたのは本音とおみうけいたす。)


             ふたつともえ


当日(11月22日)朝10時台に泉岳寺へ。

音頭を取るのは、
あたしが5年ほど前(結成100周年の頃)からお付き合いをさせて頂いております明治時代からつづく安さんのサポーター「武庸会」(たけつねかい)さん。

数年ごしの悲願だったという分骨に泉岳寺さんがついにご快諾くださった!と、みなさん感激しておられて地に足がついていないご様子w。


実は、さる9月にはすでに、播州赤穂の花岳寺さんの遺髪堂から土を分けて頂いているとか。
そうか!土ですね。土なら、シェアもスマートにとりはからえるイメージが…。
というか、300年以上もむかしの骨やらお棺やらはもうとっくに土になっているのでしょう。




▲泉岳寺の前にて集合。



朝11時に武庸会をはじめとする新発田の皆さんや、最近なかよしのシンガーソングライター・旅流草一郎さん。ご無沙汰していた佐藤条右衛門のご子孫、佐藤さんらとご挨拶。
そしていっしょにご本堂でお釈迦様にお参り。

全員の焼香が済むとまもなく、かかりの僧侶さんに案内されてみんなそろって四十七士のお墓に移動します。
みんな討ち入り装束のはっぴを着て、何人かの手には「武庸会」ののぼりが。
事情が飲み込めてない外国人観光客の恰好の被写体となりました。
(ちなみにあたしがあてがわれたのは杉野十平次さんのハッピ♥)




▲あっあのう、杉野さんの墓に荷物!ase2


いつもお世話になっている泉岳寺のスポークスマン・牟田賢明(むた けんみょう)さんがご供養のお経を唱え、参列者全員がご焼香。
そして「東京と新発田でみんなして安兵衛さんの菩提を弔ってほしい」という内容のスピーチ。

そして、とある方法で無事に土の一部を木箱に収めると、武庸会・嶋谷(しまや)会長は感極まって涙。

これを数日後、新潟県新発田の長徳寺に用意した新しいお墓に納骨します。

お墓の前で、旅流草一郎さんにご自身の歌「堀部安兵衛」を熱唱していただいてひととおり式典は終了。






▲あたしははじめて入った「泉岳寺門前 紋屋」さん


その後みなさんとお昼を「泉岳寺門前 紋屋」さんで楽しんでから、みなさんは高田馬場の早稲田水稲荷神社に安さんの碑を見におでかけになり、私と旅流さんはいっしょに品川駅へ行ってそのまま解散(あたしは後日の新発田や赤穂行きの切符を買いに。旅流さんは一度自宅に戻ってワハハ本舗娯楽座のリハへ。)


++++++++++


さて
4日後の26日。納骨式/建碑式に新潟の新発田に参りました。

現地は雨・・・雨

あたしは駅に到着後、持ってた折りたたみ傘ではたよりないので売店で大きめの傘を買い、駅前に取ってあるホテルに余計な荷物を預けて、歩いて長徳寺へ。
スマホで道案内を見ながら歩いてたらどうやら車の道順で行ってしまったようで、駐車場のある裏口のほうからいささか遠回りでおじゃまさま。ま、いい運動になっていいや。




▲白無垢で開催を待つ安さんの新しいお墓。
 横の義士堂の木像47体は最近修理&復元がなされた。




午後2時より長徳寺本堂で、新潟大学名誉教授・冨澤信明先生(<最近、富澤日向守とご自分が続いてることを発見し、大石内蔵助と縁戚にあたることがわかった。)の記念講演。

討ち入り成功の鍵は「屋敷替え」にあったが御府内の屋敷をわざわざ前に住んでた人(松平登之助)を引っ越させてまで吉良を本所深川に飛ばしたのはそれをうながした大目付・溝口摂津守(内匠頭と親戚)が討ち入りの黒幕だったからだ…というお話し。
吉良が移った本所の屋敷の周囲は溝口の親戚で固められていた。=討ち入りはしやすくなった。先生はその縁故関係を洗って発表しました。
討ち入り開始から泉岳寺で仙石伯耆守のところに行くまでの約10時間ほどおまわりさんも来ないし、その後お上は「吉良左兵衛はおあずけ、上杉は改易!」とさっさと決めておいて「四十六士は様子を見ましょ」ということになっている。これを見ても幕閣の足並みは揃ってると言えるというおはなし。
武田の遺臣が多くいた徳川スタッフの「上杉潰し」が討ち入り成功の秘密だという。








先生はこの説を新聞でも発表して、反論を歓迎しているが、なかなか誰もなにも言ってきてくれないという。
ぜひ、むかしから研究をしている方たちと有意義なディベートをしていただきたいし、聴きたい。



雨の中、15時より納骨式スタート。

メディアが何社か入っている。
ギャラリーも多い。
(泉岳寺にもカメラが1台来ていましたっけ)

東京と赤穂から持ってきた木箱から、武庸会会長が土を両手ですくうようにして墓の中に移す。
墓の台を動かすのではなく、乗っかってる竿石(軸石?)を傾けると墓穴になってるので、そこに入れる形。これなら石を三又で吊るすなどする手間がありませんで式典がスムーズ。










▲もりい、合掌。


読経が始まって、手を合わせ「おかえりなさい」とちいさく言ってみたら、なんだかちょっとジンときました。

会長がテレビの取材に答えてます。
「300年親子が離れ離れになっていた。ぜひお父さんに討ち入りの話をしてあげてほしい。これでようやくお父さんの横で眠れる。」

随分おめでとうございます。




▲お棺。



参列者の焼香が済むと、こんどは16時より、武庸会会長のお店「割烹志まや」さんにて懇親会。
テレビのインタビューなどがあってなかなか皆さんが思うようにお寺から動けません。
あたしだけ先に会場に行ったとて手持ち無沙汰はあきらか。寺の中で冨澤先生のスクリーンの片付けなどをお手伝いしました。
そうして良い頃合いにでかけて、大広間で集合写真を取ったあと宴会場へ。




▲播州赤穂からご参加の大石神社・飯尾宮司さん。



もう、おいしいお料理をゆっくり召しあがればいいのに、みなさんたらほうぼうへ瓶や徳利を持ってご挨拶にあっちへウロウロこっちへウロウロ。(あたしもなんですけどね!)
大事なことです。まさに懇親会。




▲たけなわ。



庄瀬の応庸会(まさつねかい)さん(<若い時の安兵衛の住んでたところ)の会長と副会長にご挨拶がかないました。
今回の墓の石をご用意なさった石井さんはアレ、古寺の石垣の石だっておっしゃってたかな。
石工の村山さんは竿石をコーティングでしっかり留めるとおっしゃってたっけ。
飯尾宮司さん、朝にほうぼうご案内いただたはいいけど肝心なあたしの「安兵衛真観」見そこなったっておっしゃってた(嬉しい事に翌朝リベンジしてくださった)。泊まりが新潟市の方だとおっしゃってたなあ。
冨澤先生「イジメを苦にして自殺するなら死ぬ前に相手の目ん玉くらい潰してから死ぬべきだ」とおっしゃってたのは、なんの話の流れだったかなあ。
あっ白勢酒店さんのお酒の安兵衛のラベルをデザインするって約束したんだった!
歯医者で新発田の郷土研究会の佐藤先生(剣道七段)は出土した貴重なものを展示するところが無いことを憂いてらっしゃった。90歳位らしい。「漫画家の寺田ヒロオは新発田出身だ」とも教えてくださった。
副市長さん、加西の忠臣蔵サミットにおいでになったとおっしゃってたなあ。
真紀子さんが藤間藤子と市川染五郎のお話をしてくださった時はあたしもけっこうよい心持ちで、いなくなっちゃった席の人のおかずを盗み食いし始めておりました。

いったん解散になり、別室にて二次会。




▲二次会の席


▲左より杉山先生。若槻議員。飯尾宮司。もりい



若槻市議会議員から「つっぺった、こっぺった、ばかんめら!」という言葉を教わりました。旅流さんが「堀部安兵衛」を作るきっかけを作った方です。
脚本家の杉山義光先生と解散まで話し込んでおりましたが、先生あたしのことおぼえててくださるかしら。
「クレームをつけてくるやつというのは、興味を持ってくれてるわけだからちゃんと対応しろ」とお兄さん
(<里見浩太朗の忠臣蔵を書いた杉山義法)から言われたなど、お兄さんのイイ話をいろいろ伺いました。


ご法事があるということで中抜けした長徳寺・関根住職が戻ってきたのは何時頃だったろう・・

おひらきのあと、武庸会の副会長・高橋さんのお誘いに甘えて、ご自宅のスターウォーズコレクションを見せていただいたのはそこそこ深夜だったかと存じます。
それなのに、奥様がたいへん親切に対応してくださって大感謝。
そのままメガネケースを忘れて退散。

この昼間、新発田にに着いてすぐ買った70cmのビニール傘が帰るときには65cmに縮んでいました(誰のを持って来ちゃったんだろう…)




▲高橋さんのコレクションのごく一部。
「ローグワンって、忠臣蔵だよね!」




<翌日>



朝、メガネケースは高橋さんから直々にホテルに届いておりました。すみません・・

寝間着が加齢臭っぽかったから次はよそのホテルにしようかとも思いましたが、高橋さんの知り合いのようだったのでまたここに泊まろうかな。




▲朝ごはんのソーセージ&ごはんは鉄板。



「安兵衛真観」のプロデューサーY氏にいつも甘えてクルマで新発田市散策。
車中で戦国時代からのいろんな相関図がどう江戸時代のアレやコレやにつながってるかなどのハナシをしながら汽車の時間まであっちやこっちへ。
ありがとうございました。

今回はじめて見たのが「安兵衛手植えの松の子」(名前がかわいい)







結局新潟まで送って頂いて新幹線に乗って帰りました。

地元に安さんが帰ったことで、新発田がより忠臣蔵で盛り上がったらいいなあ。




▲お昼はお寿司食べた。


             ふたつともえ


安兵衛さんへの愛から東京のゆかりに談じ込んで、なまなかではない夢を実現させたのは一頭地を抜いている気がしました。
が、各地が右へならえばたちまち泉岳寺の墓所はせわしないありさまとなり、そうなれば今後泉下に如何なる粗相をなさんも計り知れんと存じますから、まずはこれにて御免下し置かれまするよう…

そんな、ファンの気持。

…余事を失敬。

 

| もりいくすお | - | comments(4) | trackbacks(0) |
コメント
御報告ありがとうございます。
最初に分骨とうかがった時は、遺骨もないのにどう分けるんだろうと、そりゃあもう、大概案じたことではありませんでした。しかしまあ、御分土と承って、まずは安堵致しましたさ。
各地から名士が集結して、プチサミット状態。交流が盛んになるのも素晴らしいですね。
| ゆらおに | 2017/12/04 6:40 PM |

おにさん
左様有名人の集結はなかなか興奮でございます。
| もりいくすお | 2017/12/04 7:01 PM |

 戦前に築地本願寺の間新六の墓を分骨して泉岳寺にという話がありました。
 実際に新六の墓を掘ったところ、何も出てこなかったそうで、やむなく土をもらってきて、泉岳寺の新六の墓石の下に埋葬したとか…
 分骨記、お疲れ様でした<m(__)m>
| 山三 | 2017/12/04 10:49 PM |

山三さん
なるほど。分骨と言って土をやりとりするのはおなじみなかんじではあるのですね。
| もりいくすお | 2017/12/04 10:56 PM |

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