CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
CONTENTS
ARCHIVES
CATEGORIES
忠臣蔵:谷中さんぽ
台風上陸が予想されていたがおともだちと集まって谷中散策。
ネットともだちだった、とわさんとはリアル初対面。
近松勘六ファンのクレバーな彼女がまたいろいろおくわしくて、大きいお友達諸君のテンションが上がりっぱなし。



▲鶯谷。笹乃雪。

まずは待ち合わせた鶯谷駅そばの笹乃雪でランチ。

こちらは討ち入りのあとに細川家にここの豆富が差し入れられたとか
ここンちのお嬢さんが礒貝十郎左衞門に思いを寄せてたっていう伝説がございます。


そして、本日の目的地「書道博物館」へ。

あたしたちにはお酒の「真澄」や「新宿中村屋」「神州一味噌」などのロゴでおなじみの洋画家で書家の中村不折(なかむら ふせつ)先生の書のコレクションが見られます。

忠臣蔵好きが集まったのは今回、片岡源五右衛門の大石内蔵助に宛てた書状が公開されるから。

出かける前から三左衛門さんがなにやらうさんに思っている…
「まさか早打状では?」・・・
そりゃいったいなにがご心配なので?



▲東京都台東区根岸2-10-4 
 途中で羽二重団子食べたかったけど店が工事で無かったase2

三左衛門さんの予想は頭に当たり、展示されていたのはまんまと
「早打状」

ドラマでは、松之廊下事件の凶報を赤穂に知らせる早駕籠に乗った早水藤左衛門らが持ってくるのだが、それのこと。
これがどうも評判の作り物らしいそうでございまして…。
たとえば早水が出立した時点で殿様が田村邸に預けられていたろうかなど、いろいろ怪しい。
言われてみますと、事件のあらましを物語ったその内容が非常にうまくまとまっててまるでドラマのあらすじのように感じます。
あともう、花押のカタチが本物のソレとぜんぜん違う。

ただ、今回の展示は日本史に登場するスターたちの書の形やデザインをほれぼれ見るのが主旨で、これは非常に堪能出来ました。
(宮本武蔵(伝)。空海(伝)。謙信や信長、伊達政宗etc..)

忠臣蔵関係者はほかに、荻生徂徠細井広沢のものもあり、こっちは本物のようでした。


我々がはしゃいでしまったのは企画展のそれらもさることながら、もともとここの主・中村不折先生のおしごと展示。
あの夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」の題字や挿絵もやってらして、そうした仕事に漱石がお礼状を出してるのですがこの内容がまたお礼状のお手本というような、喜んで、褒めて、という漱石の人柄が忍ばれる内容で興奮。

で、あんまり高まったのでつい話し声が大きくなってしまい、同じコーナーにいたお客さんから
「静かにしてください。声が大きいですよ。」
と、おこられました…。
さらに
「それから見てる順路が逆です」
と、念のいったことで、いやはや大変面目ない。

あたしゃ以前に新発田の図書館でも怒られたなあ。


             ふたつともえ


谷中と言いますと、あたしには先日うかがった広島で潜伏先を探した菅谷半之丞さんが江戸下向後に身を寄せていたというお寺さん。これがあるんでおなじみです。



▲谷中・観音寺(事件当時は長福寺と言いました)。雨模様

今回ご同道のとわさんが大の近松勘六さんが大好きでこちらのお寺、赤穂事件当時近松勘六の弟さんの文良さんがここで修行をしていたんですね。(&奥田貞右衛門の異母兄。のちに文良さんは大和尚。)
ここでとわさんのテンションが上ります。
ほかに誰も居ないのでここは、はしゃいでよしtehe
▲供養塔。

日暮里駅近くのルノアールで濡れた衣服が乾くまで潜伏して、
解散。


作業場に戻って、この日三左衛門さんから売ってもらったご本を読もうかなと思ったら、こりゃあ骨が折れる内容でしたわい。
でも豊か〜ON-PU



▲事件のようすを生々しく伝える、当時の関係者のコメント(覚書、記事、日記など)がまとめられてるが、活字にはなってるものの原文ママase2


でわでわ
東京忠臣蔵さんぽ。
これにて大尾。
ずいぶんとごきげんよろしゅうhato
| もりいくすお | - | comments(4) | trackbacks(0) |
ひろしま忠臣蔵(3)


ひろしま忠臣蔵(3)

夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。


最終回は
「国泰寺(こくたいじ)。大石りくさんのお墓参りと、ご本家のお墓参り」
「明星院さんの赤穂義士木像」
これを広島市内にて見たくておでかけ。


帰りの新幹線は15時過ぎだから、午前中に半之丞さんの甲斐庵を見ておいて正解。
タクシーに乗せてもらえばいくらか遠いところでもへいちゃらだろうという見込み。


まずむかうのは大石りくさんとご本家のお墓がある国泰寺。




▲広島駅からJR山陽本線で西広島駅へ。

(余談も余談だが、この電車は我が母校元学長・榮久庵憲司先生デザインによるJR西日本227系)



駅前のタクシーに乗ると老人の運転手さん。
「こんにちわ〜」
と、社内に乗り込むと

暑い!

なぜかエアコンが弱い!
ご老体を気遣って私はなにも言わなかったが
発車してまもなくハタと気づいてくれて?冷房を強くしてくれた…。

最初この運転手さん「国泰寺までお願いします」とあたしが言っても黙ってるからどうしたのかなと思ったら「こくたいじ」という「ばしょ」もあるそうで、どっちか考えてらっしゃったようで「寺のほうですね」ということで確認をとった。
「己斐上(こいうえ)の国泰寺と言ったらいいです」
だそうですよ、みなさん。




▲連れてってくれたJ谷さん。



今朝の道程に(<ひろしま忠臣蔵(2)ご参照ください)歩くのに自信がついていたので、なんなら徒歩でもいいんじゃねえかなどと思っていたのだが、無知はこわいですな。国泰寺は山の中腹にあり、もしこの炎天下に昼飯抜きで登山を決行していたらまちがいなく芸州広島がもりいくすお終焉の地になっておりましたtehease2

運転手さん「五月が丘行きというバスも出てますからそれでも行けます」
もりい   「そうですかぁ。じゃあバスでもよかったかもですな」

カーブの続く山道の途中にバス停を見かけるが、路端にのざらしのバス停サインがぽつんといてあるだけ。時間は正午。ここでいつ来るかわからないバスを待たないほうが無難であるase2
タクシー大正解。

自分が忠臣蔵が好きでお墓参りに来た旨を伝えると帰りの足を気遣ってくれて
「それなら時間を決めて、また来ましょうか」と言ってくださった!なんとおやさしい運転手さん!
おねがいします!

さて

国泰寺さんには駅から約料金1600円位で到着するもお寺。これがでかい!




▲竜宮城か!?



寺務所はどこでしょうなあ。と、敷地内を何度もぐるぐる・・・
もりいが「たぶんいまのところ…」と言った建物(正解)を通りすぎてぐるぐる回る探す運転手さん。
(これで1600えんになった。かえりは1300えん)

ともかく適当なところで降りまして、40分後に駐車場で集合時間を決めました。
しかし、「また来ましょう」と言っても運転手さん、一旦下山してひと商売してから上がってくるなんていうことを40分以内にできるわけがない。待っててくれてるに違いない。
それは申し訳ない。
早くすまそう。


あたしが狙いをつけてた建物はまさに寺務所で、お墓の場所を聞いてみると
「あの、ちょうど車が止まっているでしょう。あそこです」
と、遠くを指差す。




▲ここのこと



とお!


すげえなあ!なんだか!
こたびのお参りはいちいち一筋縄ではいかん!

お礼を言って大石内蔵助夫人の墓所へ。
見晴らしがすばらしい場所でございました。




▲末っ子・大三郎さんと眠っておられます。



▲赤穂義士追遠塔



この一帯が浅野家のお墓なのだそうでございますが、さあ〜浅野家のお殿様のみなさま、どれがどなたのお墓やらわかりません。
そして昨日の曇天と打って変わって容赦なく照りつける太陽!
…退散。
申し訳ございません。




▲みなさまお安らかに。



お参りもそこそこに、予定より20分早くJ谷さんのもとへ。

「もう済みましたか」

なにかお礼をしなくちゃいけないなあと思ったが
「そんなのはいいです」
と、おっしゃる。
ちょうど昼飯時だったんでご飯に誘おうかと思ったが白島(はくしま)のご自宅でいつも昼食を取るという。

いろいろかんがえたが帰りは1300円ほどだったのでとりあえず2000円出してお釣りをキープしていただいたが、千円包んだら良かったかなあともやもやする。


              ちんべえ


広島に戻り、今度は徒歩圏内という明星院に義士像を見に行こう!
これが最後のミッションだ。

昨日、今日とタクシーが当たりなのでもう徒歩圏内かなんか知らんが、迷わず広島駅前でタクシーに乗車。

さてもさてもこの運転手さん、明星院を知らない。
スマホで地図を見せようとしたら
「そんな小さいのじゃわかりませんから。住所は?」
小さいかでっかいか、チラッとでも見たらどうなんだろうか??拡大もできるんですけど。
必死にウィキって住所をチェックするわたし。
なんで慌ててるかというと、この運転手さん行き先がわからないくせにもう賃走スイッチを入れてるのだ。
こんなの東京じゃちかごろあり得ない(個人の見解です)
場所を確認してすぐ「目的地周辺」に到着するも明星院が無く、彼が地図を見て独断で予想した未発表の推測に基づいて饒津神社(にぎつじんじゃ)境内に突入。


どこなんだよ!ここは!




▲おじゃましました



神社の駐車場に停める運転手氏。
もりい「じゃあちょっと歩いて探してみますわ(降りたい)
運転手「地図で見るとこの先って言うことなんですよねえ」
と言って地図を見る。
まったく動かないタクシーの中で、料金が510えんから670円に上がった。


さてこの明星院さん、たしかになかなか難易度が高く、自分一人で出かけたとしても似たような迷い方はしていたと思う。
仕方ないからお賽銭のあと二礼二拍手一礼して神社をあとにし、見当を着けた方へ歩き出す(地図A方向)のだが視界に入る道のりにまったく寺院らしきものが確認できない。
(浅野長勲の碑がありました。芸州広島藩最後の藩主。

実はこちらは浅野長政、幸長、長晟三公と長勳を祀る神社だそうです。拙サイトが、俗書フィクションを取りざたしておりますかかわりで、以上の展開の失敬すみません。tehease2







で!
ここで初めて
「あっナビがあんじゃん!」とさっき出した住所を入力してスマホをペシペシ。
徒歩2分。近い!





▲こっちに行けと…




▲こっちに行けと…




「・・・・・」



いささか不安でしたが

あったには。ありました!

ていうか

裏?
これ超わかんないよぉ!





▲ご本堂


こちらも広くてですね。
で、
「義士堂」みたいなものがあるのかしらと想像してたんですがそれらしいものがまったく見当たらず、案内図があったんで見てみると義士堂的なものは記されていない…。





▲案内図



さらに寺務所も見当たらず、敷地内をカンカン照りの中ウロウロ探しても手がかりもなく…
本堂で檀家さんがご法要をしてらっしゃるのでこれが終わるのを待とうと、もはや関係者は今お経を唱えてるあの人しかいないと中を覗くと、ああ!中に義士のみなさまがいらっしゃる〜!

セミとお教のセッションを聴きながら待つこと約10分。

ご住職らしき僧侶に事情を説明すると二つ返事で了承。ろうそくとお線香を持ってあがる。
表門隊と裏門帯の2グループに分かれて本堂内部の左右にご神体を挟むように別れて安置されてる義士の皆さま…にまぎれてなぜか天野屋利兵衛も鎮座している(それもセンター)。ご本堂の画像はアップに気が引けますので、これもどちらさまが撮影しても同じなのでご興味のある方は「明星院 義士」でご検索くださいませ。

…愛嬌のある天野屋利兵衛さんだけアップいたしまする。
明星院様には平にご容赦にあずかりとう存じます(*´ω`*)。





▲天野屋さんは表門グループとご一緒。
表門:山田伊佐郎さん作。裏門:岩田彦四さん作。in 明治。

原爆投下から2km弱のところではあるが戦火を逃れた木像。



で、あれですな。こうした旅ではチャッカマン持って歩かないとダメですな。開けっぱなしのお堂の中は風が入ってマッチの火が消えてしまう。
義士像の前にろうそくがあったのでそれに火を灯してお線香に火をつける。
ご住職はあたしを勝手にさせて「ろうそくの火は消してってくださいね」と言い、出て行ってしまった。
きさくな方である。

江守徹似のりりしい安さんにお別れをして、ここに来たときわたしは本堂の背後からやって来て横から入ったが、こんだ正面から出て行った。

 

 

▲正面。本来ならこの総門が迎えてくれますhato

  画面右に木像のポスターも見切れてる。

 

 

そしたら駅前の二葉通り(駅前通り)はすぐだった。


駅から行く場合は画像のところ(二葉の里1丁目2番の信号)で右に折れてください。

 

そうして私はそのまま徒歩で広島駅へ。構内のお蕎麦屋さんで涼む。。





▲駅前の二葉通りを左に行ったら、ここを右折。



さて
いかがでございましたでしょうか。
以上をもちまして聖地巡礼漫遊ぶらり忠臣蔵、芸州広島篇。お開きとさせていただきます。



ま〜
なんと言いましょうか、三次の観光協会さんや広島のタクシーさんのようすから忠臣蔵離れが相当なところまでいってるなという実感。

知ってる人がいたり、いなかったり。
それでもそこかしこに「有る」という事実。
たまらないアンバランスであります。


義士の皆さんは今も人知れずケイパーな潜伏が続いてるということでしょうかな(笑)。





▲お好み焼き、食べなかったなぁ。



これにて大尾。
ずいぶんとごきげんよろしゅう。



ひろしま忠臣蔵(1)

ひろしま忠臣蔵(2)

| もりいくすお | - | comments(15) | trackbacks(0) |
ひろしま忠臣蔵(2)

 

ひろしま忠臣蔵(2)

夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。


早2便は
菅谷半之丞さんの潜んでた庵の跡(の碑)」
これを訪ねます。


さ〜これがクセモノで、
東京にいる間にストリートビューで確認したものの
まったくそれらしいようすが出てこない。

検索すると出かけた人が
「菅谷半之丞の遺跡」とある柱みたいなものの画像をアップしてくれている。

だから、あることは、あるのだろうと思う。

前回のブログでも申し上げたが、大概の人は目的地に到達するとみな同じようにターゲットそのものだけを撮影するので周囲の状況がわからないことが多ございます。

 



▲AとBについては後述。

 

鳳源寺(ひろしま忠臣蔵(1)ご参照ください)を後にしてこれまたわかりやすい道のりをストレートに移動できた。
が、とにかく暑い
時間は昼すぎ。一番外出しちゃいけない時間だ。すれ違う人もまばらで、もし自分がこの見知らぬ土地でぶっ倒れたらどのくらい経ってから見つけてもらえるだろうとかそういうネガティブな考えばかりが浮かぶ暑さ…なのだとご想像願いたい。


まず、めでたく到着したのは、事前にストリートビューで確認しておいた案内の立て看板。
さあ〜て。

 

 


▲「甲斐庵250m」とあるが…

 

 

この矢印がAを指してるのかBを指してるのかわからない。

東京で事前に忠臣蔵友達の山三さんとAさんとで「どっちだろう」と3人で推理した。(in三田のガスト)


菅谷半之丞は瑤泉院の地元であるこの三次に移ってしばらくここいら辺にあった「甲斐庵」というところに潜んで毎日、釣りばかりしていたという。


で、その伝説が生まれるというくらいだからやはり川沿いであろうと相談がまとまった。
つまりAである見込みが高いと。(画像左は川である)

250mなら楽勝!

かと思ったが…

 

無い。


もうとっくに250メートルは歩いたろう。
広島の250メートルって300メートルなのか!?

 

 


▲川べりを歩いてたつもりがいつのまにか山道に。

 

 

引き返し、Bにルートを変えてみる。

 

やっぱり無い。

 

 


▲どっかのサイトで見たときは碑の背景はうっそうとしていた。
この先は整備されてるし・・・
それより先に行こうものならそこはもはや250メートルではない。

 

もしかしたらなにか事情があって
碑を引っこ抜いたのかもしれない?

(曹渓寺さんが寺坂吉右衛門の案内を撤去したように)

 

東京でアレコレ相談してた時「あまりに埒が明かなければ地元の人に聞いてみますよ」と私はうそぶいた。
しかし、人がいない!
こんなクソ暑いさなかにふらふら表に出てくる人などいないのであります。

知らない民家の呼び鈴押して尋ねる気力がない・・適当な店も無い。
こっちはもう水を浴びたようにびっしょり汗をかいている。体が健気にも体温調節をフル稼働で頑張ってくれてるのだ。マメに水を飲む。


ただ、これで「なにも見ない」で引き返したとあってはいくらヘタレ巡礼者といえどもあんまりなので三次観光協会に電話してみた。


もりい「東京から来てるんですが三次の赤穂義士ゆかりの地に菅谷半之丞の甲斐庵の跡というのがあると思うんですが」
かかり「三次は忠臣蔵の殿様の奥方様の遺髪塔でありますとか、義士堂みたいなものが…」
もりい「それは鳳源寺ですよね、いま行ってまいりました。
川っぺりにね、甲斐庵まで250メートルって看板があるんですよ」

かかり「はあ」
もりい「でも看板の前の道が二手に分かれてまして」
かかり「すみません少々お待ちください」
(そして)
かかり「すみません、わかるものが今日はおりませんで…
なんでも教育に依るものだそうでございまして
(<ここママ)

 


ぎゃふ〜〜ん!

 

 

観光協会も知らないって、なんだよぉ!
そんなにマイナーなのかよぉ!

とぼとぼ帰る道すがら目に飛び込んでまいりましたのはこちら。

 

 

半之丞サマの祭りがあるんじゃねえか!
どまんなかには大石様の家紋!
マイナーなのかメジャーなのかわかりません。

 

さて
碑が見つからなかった件をSNSでつぶやきますと、ありがたいことでございます。
出かけたことのあるお友達が情報をくださいました。
特に忠臣蔵問屋のわたやさん!
ありがとうございました!
便利な世の中ですな!

でもそれ、ホテルに帰ったあとで確認いたしました…

 

 

 

いっぽう

街はお祭り模様。

 

 


▲きんさい祭り

 

たまたま地元は「きんさい祭り」
(地元の会社や学校などからの参加者が「鼓おどり三次どんちゃん」の楽しいリズムに合わせてパレードをしたりそこかしこにおいしいお店が出る市民まつり。)
パレードをうつろに見て焼け酒を煽りながら思いました。

 

「明日、帰る前にもう一回行こうっ!!!」

 

ここのところが今朝、落合さんのお墓を見ないで帰った甘さをなんとなく反省した感じです。

 

 


▲会場に鎮座していた天神様。
三次人形といえば天神様。
浅野長治が人形師に土人形を作らせたのが起源
という伝説がございます。

 

 

<翌日>

 

 

朝8時にチェックアウトし、なにしろ電車が数時間に一本しかないので行きはタクシーで現地へ。
散策後、駅に着けばちょうど電車が来るという時間を見計らった。

 

運転手さん「東京からそういう人が来てくれるのは嬉しいですねえ。
半之丞まつりっていうのもあるんですよ。寺戸というんですけれども」

もりい 「あ、横断幕がかかってるのを見ました」
運転手さん「でしょ?あと、半之丞が釣りのときに腰掛けてた岩っていうのもあるんですよ。
(川を越えながら)ああ、ここからじゃ見えないなあ」
こちら、観光協会さんより詳しいじゃありませんか!?
もりい 「甲斐庵跡という碑があるそうなんですよね」
運転手さん「それは知らないなあ〜」(<以上を広島弁で)


あるのか!?

 

碑!


さあて
先輩のアドバイスによると?
どうも、ちょうど前日引き返した場所が、まさにポイントだったとか。
250mを思い知る体内メーターはなかなか正常に働いております。

(上記画像「やっぱり無い」のもりいの背後の道を左に入るのが正解)

 

 


▲あれか??

 

んあ!?林の中に何となく見える…
あれか!?
あれなのか!?

カーブしたゆるくほそい坂道(わかるかよっ!)を降りて行くと、ありましたぁ〜〜〜〜!

 

 

 

▲お会いしとうございましたぁ!

 

まずは汗だらけの顔に蜘蛛の巣がビシャーっ!
そんなことはかまってられない。
うれしくてもう。
耳元で昆虫がぶんぶんうなり、足元には胴体を誰かに持って行かれたカブトムシの死骸。

半之丞様!
あなたこんなところに潜伏してらっしゃったのですか!
さぞや蚊帳は上等をお使いだったことでしょう。

 

さわやかなキモチで甲斐庵跡をあとにして、タクシーの運転手さんに教えてもらった
「半之丞が釣りをしてたときに腰掛けていた岩」
なるものを探そうと川べりを歩き出す。
手がかりは「橋から見えないほどの距離」(笑)。

いわれた方角にたしかに、岩、あり!

 

 


▲でも岩、いっぱい、あり!

 

ンまぁ、ここいらへん全部の岩から岩を渡って釣りをなさっていたのでしょう。

渓流釣り。友釣りとかね。
引き船にオトリアユを入れて、アユ釣り。
岩魚、ヤマメ、アマゴ等の収穫があったことでしょう。

…といった感じのおじさんがいらっしゃいました。
あたしがアニメで半之丞さんを描くときはルアーしていただきます(笑)。

 

 

 

 

さて、タクシーで来たときに、思いのほか早かったんでこりゃ電車に乗らなくても余裕で帰れるなと判断(電車のほうが遠回りかと)、気分を良くしたもんだから知らない土地を歩いて尾関山から三次まで歩きました。(今思えば、なぜかナビを使ってないんですな。いろいろ頭がおかしい中、土地勘は冴えてる)

 

 

 

 

たまたま途中にとおりかかった辻村寿三郎人形館
私たち世代には「新八犬伝」の人形劇で有名なジュサブロー先生は瑶泉院様も作ってらっしゃると聞いておりますので、開いてたら、見られたかもなのだよなあ。

リサーチ、甘いよなあ!

 

 


うだつのよく似合う街三次をあとにして、何度も水を飲み、頭にかけ、無事到着。
日本ってそこかしこに自販機があるからホント好き!

芸備線内でそそくさと肌着を取り替えて、いざ広島へ。

 


次回は最終回!
広島市でご本家にご挨拶です。

 

| もりいくすお | - | comments(4) | trackbacks(0) |
ひろしま忠臣蔵(1)


ひろしま忠臣蔵

夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。


このたびは浅野家御本家筋の広島に単身出かけてまいりました。
とりわけ、俗書フィクション派のもりいといたしましては、失敬を顧みず本伝メインなお参りということですみません。

今回はまず、瑶泉院様のお生まれ故郷。

ご実家があった広島県・三次(みよし)。
瑤泉院のおとうさんが建立した鳳源寺を参ります。
瑶泉院の石像と遺髪塔、義士堂があると聴きました。


品川から広島も遠いが、広島から三次がまた2時間ほど。
そして今回はお家大変のあと、三次に身を隠してた菅谷半之丞さんも訪ねますので三次からさらにお隣の駅、尾関山へ。

 

 

 


▲新幹線〜芸備線〜三江線

 

 

 


▲本数が少ない三江線・尾関山駅。


鳳源寺さんには下調べしていたとおりのシンプルな道のりで難なくたどり着きました。

通りに面した階段を上がってご本堂。

 

 

 


▲ご名君・長治公がお出迎え。


さて奥方の石像はどちらだろう。
長治公のうしろのにはお稲荷さんと破風?
お寺の改築前のものとかそういうものでありましょうか?
(サイトに「鬼瓦」とあるけど…おにがわら??)

 

 

なんてわざとらしく脇道にそれましたが
それらしいメインの階段が長治公の左にございます。

 

 

 


左に浅野家の歴史が書いてある看板を見て登ってまいりますとございました!石像と義士堂!

 

 

 


▲石工さんは日本人かな?
というようなエキゾなお顔立ち。

 

 

 

 


▲こちらは義士堂。
義士に混ざり、長治、瑤泉院、内匠頭が加わっている(奥)。


義士堂は三次ライオンズクラブさんが建てたそうですが、戦争中にあらかた焼けてしまったのを修復して安置したということで、すばらしい!

で、大失敗だったのが

 

 

遺髪塔を

見ないで

帰って

来ちゃった

んですNAKI--WARAIase2

 

 

理由1)下調べが甘い。
理由2)「塔」というのにふさわしい「別のもの」があったからそれと勘違い。
理由3)途方もなく暑い。

 

瑤泉院さんのヨコに「塔」があったんだもん!
まちがえるよぉ!

 


▲これ。
(未確認ですがこの石塔にはちゃんと名前がございました。
あわてなければ違うことはわかったはず  TAHAHA。)

 

 

 


▲だってほら看板にだって像や堂とあたかも一緒にあるように表示されてるじゃありませんか?

 

いや…そぉかあ〜!
「遊歩道」ともあるから・・・
もっと奥へ?行ってみればよかったのか。
ご存知おりの方には甚だじれったいことと存じますが…
もういまとなっては「奥があった」のか「通じる道があった」のか記憶に無い。


あとで調べたらじっさいは普通のお墓なんですね。
・・塔
たしかに五輪塔という「塔」だわなあ。

勝手に「タワー」をイメージしたわたしの敗北。

 

             ちんべえ

 

あとまあ、とにかく夏はぶらり旅に徹底的に向きませんase2
言うまでもないんですがな。

数日前東京で天気予報調べたときは広島は雨と言ってたのに、んま〜〜〜恵まれまして(?)、曇天ではありますが気温は35度ほど。
こんなことで調査がおろそかになるというのは、なかなかのマニア失格なんですが、体力はあるんです。あるんですががともかく…
「頭がまわらない」。
「目がかすむ」。
もともとすこしボ〜ッとしておりますもんで、下調べは綿密にという反省をさせていただきました。
(このシリーズ。こうした短所が解消されてまいりますストーリーです。)

 

「史跡巡り」と「聖地巡礼」(と、あえて分けてみましたが)

の甘さの違いかなーっ。

 

墓、ふつう探すよなーっ

落合与右衛門さんの墓があるのを知っててスルーした時点で失格なんです。)

 

 

さて
こうしたお出かけのブログはそこかしこに見かけますが、たいがいは出かけた先でターゲットそのものを写真にとって終わり。
なので、誰がそこへ入っても「同じ写真」しか上がっておりません。
先輩方のアリサマを踏まえ、あたしゃ周囲のようすも記録しておきたいと思います。

 

 

 


▲石像と義士堂の関係はこのとおり。

 

いつか4月の三次さくら祭りか師走の義士祭に出直そうッ!
「また来い」というメッセージと受け取りました。
(「早く帰れ」というメッセージとも

  受け取れられなくもないtehease2

 


次回
菅谷半之丞の住んでた庵の跡をさがせ!の巻。

 

| もりいくすお | - | comments(4) | trackbacks(0) |
おおさか忠臣蔵

ごめんくださいっ

…やめとこ

 

01.jpg


浅野内匠頭長矩公が参勤交代の際に立ち寄ったという大阪は吉祥寺さん。
先日の日曜日に出かけてまいりました。

 

02.jpg

▲塀のデザインがクール!


大阪は…これ、どこって言ったらいいんだろう。
あたしゃ天王寺駅からタクシーで参りましたが
「赤穂義士の…」と運転手さんに言ったらすぐわかってくれました。
乗り換えて四天王寺前夕陽ヶ丘駅ってところまで行けばよかったのね。

大阪府大阪市天王寺区六万体町1-20

 

03.jpg

▲門をくぐると内蔵助がお出迎え。


事件後に寺坂吉右衛門が遺髪や遺品を持って現れたという伝説が残っているそうです。

 

04.jpg

▲平成14年(300周年)に建立。


でまあ勢揃いの石像がこれが圧巻でございまして、見てくださいバリエーション豊かな決めポーズ!
さらに手前に広く芝生ゾーンがあってたたずまいがおよろしい。

 

05.jpg

▲刀などの武器は、ヤイバは金属で出来ております。

 

06.jpg
▲奥には殿さまのお墓と大石親子のお墓がございます。

 

みなさんもお賽銭をいっぱい持っておでかけください。

(ご本堂は檀家さんのみにしか公開してらっしゃいません)

毎年12月に義士祭もあるそうで、そのころまた出かけたいですわい!
12月はいろいろ祭りがかぶるわけですが、可能であれば一度、義士祭のハシゴにチャレンジしてみようかしら!と、マジで思う。
マジで。


さて


晩に赤穂に入りまして、明くる日
某友人の家庭内で貴重な映画を視聴しました。
戦後の「喧嘩安兵衛」
高度成長期の「槍一筋日本晴」
Yさんありがとうございました!

でねでね!

忠臣蔵問屋わたやさんにて
とてつもない素敵なものを発見!!

 

 

07.jpg

 

元禄繚乱のポスター!


ごらんください!ありえない明るさのご家老、将軍…。

なによりお殿様ご夫妻hato
こんなアプローチ、見たこと無い。
以前に赤穂の情報物産館で見て以来、史上ベストのポスターと思っておりました。
そっそれが手に入るだなんて!キーッ!!!!

(そそ。買ったのです。)
わたやさんありがとう!!!日本一!

昔、ノンケの人から「忠臣蔵って暗いでしょう」って言われたことがあって、「どこが?」と思いましたがこのポスター見てその人が言いたいことがわかりました。たしかに物語全般において登場人物は心から笑わないですわなあ。

過去のクリエーターは、だから畳屋やそば屋をコミカルに演出したのでしょうな。


先日絵本を納品させていただいた観光協会さんに寄りましてご挨拶。

帰路につくとご家業で赤穂の牡蠣を全国に広めまくっている船曳さん一家とバッタリ遭遇!

 

 

ああもうっ!
楽しいったらありゃしない!
三左衛門さん〜!
赤穂に一軒家、借りましょうよう!(ToT)

| もりいくすお | - | comments(4) | trackbacks(0) |
<< | 2/150PAGES | >>